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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

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「題西林壁」蘇軾



横看成嶺側成峰
遠近高低各不同
不識廬山真面目
只縁身在此山中

蘇軾(そしょく)(1036−1101)作。
「西林の壁に題す」。
「廬山の真面目(「ろざんのしんめんもく」。「ろざんのまじめ」と読みそうになった…)」という言葉の出典だそうです。
廬山には多数の峰があるので、その全体が計り知れない…というたとえだそうです。確かに、「廬山」でグーグル画像検索しても、色々な画像が出てきますね…。
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「澄邁駅通潮閣」蘇軾



余生欲老海南村
帝遣巫陽招我魂
杳杳天低鶻没処
青山一髪是中原

蘇軾(そしょく)(1036−1101)作。
「澄邁駅の通潮閣(ちょうまいえきのつうちょうかく)」。蘇軾65歳の作(66歳で死去)。新しく即位した皇帝に罪を許され、流刑地から戻ることになった時の詩。2コマ目は、『楚辞』(招魂)にある、天帝が巫に屈原の魂を呼び返された…というのが元ネタだそうです。屈原の不遇になぞらえたようです。
海南島、ネットで画像検索して見ましたが、いい所だ…。南国のリゾートといった美しい南の島。でも、中国の南の果ての場所なので、中央から流された蘇軾にしてみれば、あまりに違いすぎる光景は、絶望的に見えたかもしれません。今でこそテレビや写真で南の島の映像が見れて、行った事がない所でもおなじみの光景に見えますが、全然見たことがない状態で流されたら、それこそ猛烈なホームシックにかかりそうです。
海南島の北向かいに雷州半島があるんですが、思いのほか離れてなかった(30キロあるのかなあ…)ので、たぶん手前に半島が見えて、その奥にうっすら中原の山々が見えるのかもしれませんが、ネット上で光景を探しきれませんでした…。見つかったら修正します…。

「陳伯予過、喜予強健、戯作」陸游



南宋の陸游(りくゆう)作(1125−1210)。
「陳伯予(ちんはくよ)過ぎられ、予(われ)の強健なるを喜ぶ、戯れに作る」。
陸游84歳の作。

2011年11月11日の読売新聞にて、井波律子先生が詩をご紹介されていた記事に感銘を受けて描きました。
ネット上で元の漢詩のテキストを探そう…と思ったら、ヒットしませんでした…。素敵な詩なのに、あまり有名な詩ではないんでしょうか。

ご飯を炊く道具である「甑」は、新聞記事では日本語訳が「釜」になっていまして、絵では「甑」を検索して書いたんですが、古い道具のようなので、南宋時代に使っていたかは謎ですね…。貧しくてご飯がたけない様を、「甑中生塵、釜中生魚(甑に塵がつもって、釜に魚がわく)」という古いフレーズがあるそうなので、単なる慣用句かもしれません。

あと、絵的に蘇軾の「縦筆」と、イメージがかぶりますが(貧しいおじいさん→でも顔色がいい)、私のイメージが貧困なだけで、直接意識して作られたのかは謎です。
でも、たまに、作品を描いていると、過去の作品とイメージがかぶってあれ?という時があります。

「梅花」蘇軾



其一

春来幽谷水潺潺
的皪梅花草棘間
一夜東風吹石裂
半随飛雪度関山



其二

何人把酒慰深幽
開自無聊落更愁
幸有青渓三百曲
不辞相送到黄州

北宋の蘇軾(そしょく)(1036−1101)作。
「梅花(ばいか)」二首。
政治を誹謗したと讒言され、牢獄にいた後、黄州に左遷される時の作。

※『蘇東坡詩選』(小川環樹・山本和義著 岩波文庫 1975)を参考にいたしました。

「梅花絶句 其三」陸游



聞道梅花坼暁風
雪堆遍満四山中
何方可化身千億
一樹梅前一放翁

南宋の陸游(りくゆう)作(1125−1210)。
全六首の、其の三。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「雪梅」盧梅坡



其一

梅雪争春未肯降
騒人閣筆費平章
梅須遜雪三分白
雪却輸梅一段香



其二

有梅無雪不精神
有雪無詩俗了人
薄暮詩成天又雪
与梅併作十分春

南宋の盧梅坡(ろばいは)(南宋末)の作(作者は方岳とする説あり)。
二首連作で、其の一、および、其の二。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「山園小梅」林逋



衆芳揺落独暄妍
占尽風情向小園
疎影横斜水清浅
暗香浮動月黄昏
霜禽欲下先偸眼
粉蝶如知合断魂
幸有微吟可相狎
不須檀板共金尊

北宋の林逋(りんぽ)(967−1027)作。
梅の詩といえばこれ、という宋代の名詩。
「疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏」は特に有名なフレーズだそうです。

「梅花」王安石

 

牆角数枝梅
凌寒独自開
遥知不是雪
為有暗香来

北宋の王安石(おうあんせき)(1021−1086)作。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「新春」真山民



余凍雪纔乾
初晴日驟喧
人心新歳月
春意旧乾坤
煙碧柳回色
焼青草返魂
東風無厚薄
随例到衡門

南宋の真山民(しんさんみん)(南宋末ー元初)作。
新しい年をうたう。「人心新歳月 春意旧乾坤」のフレーズが有名だそうです。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「絶句」陳師道



書当快意読易尽
客有可人期不来
世事相違毎如此
好懐百歳幾回開

北宋の陳師道(ちんしどう)(1953−1101)作。

「縦筆 其一」蘇軾



寂寂東坡一病翁
白須蕭散満霜風
小児誤喜朱顔在
一笑那知是酒紅

北宋の蘇軾(そしょく)(1036−1101)作。
「縦筆(じゅうひつ)」、三首のうちの其の一。
ちょっと哀しく、おかしみのあるユーモアがけっこう好きです。

「白菊」魏野



濃露繁霜著似無
幾多光彩照庭除
何須更待蛍兼雪
便好叢辺夜読書

北宋初めの魏野(ぎや)作。
「白菊(しらぎく)」。蛍の光や窓の雪で読書する故事「蛍雪の功」にたとえ、白菊で読書という美しいイメージを描きます。実際に読書をするのは無理そうですが、そこはあくまで詩的なイメージでしょうか。それを言うなら、蛍の光で読書も、よく考えたら、ちょっと無理っぽいですが…。

※『漢詩を読む 秋の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「新花」王安石



老年少忻予
況復病在牀
汲水置新花
取慰此流芳
流芳祗須臾
我亦豈久長
新花与故吾
已矣両可忘

北宋の王安石(おうあんせき)(1021−1086)作。

「懶起吟」邵雍



半記不記夢覚後
似愁無愁情倦時
擁衾側臥未欲起
簾外落花撩乱飛

北宋の、邵雍(しょうよう)(1011−1077)作。
最後の舞う落花は、春眠暁を覚えず…の詩を下敷きにしているのかもしれませんが、それよりも、よりいっそう、布団から出られない度が増しています。
非常に共感できる詩です。

「探春」戴益



尽日尋春不見春
芒蹊踏遍隴頭雲
帰来適過梅花下
春在枝頭已十分

春をたずねてあちこち探し回り、結局、我が家の庭の、梅の木に見つける…。
なんだか、童話の「青い鳥」のような詩です。

「鍾山即事」王安石



澗水無声繞竹流
竹西花草弄春柔
茅檐相対坐終日
一鳥不鳴山更幽

北宋の王安石(おうあんせき)(1021−1086)作。

「偶成」朱熹?



少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声

南宋の朱熹(しゅき)(1130−1200)作。

……と、日本では長く言われてきましたが、平成に入って、日本の五山文学の作品、という説が有力になっているのだそうです。
参考:ウィキペディア「少年老いやすく学なりがたし」

「沈園」陸游



城上斜陽画角哀    
沈園非復旧池台  
傷心橋下春波緑
曽是驚鴻照影来

南宋を代表する詩人、陸游(りくゆう)(1125−1210)の作。
かつて陸游は20歳の時に唐氏と結婚し、夫婦仲もよかったのですが、母親が嫁を気に入らずに離縁させられてしまい、お互い再婚します。
そして、31歳の時に、沈園(沈氏の庭園)で偶然にも彼女に再会。
その後、唐氏は若くして世を去ったのですが、陸游は75歳になっても、彼女の事が忘れられず、昔を思い出し、詩を作るのです…。

「中秋月」蘇軾



暮雲収尽溢清寒
銀漢無声転玉盤
此生此夜不長好
明月明年何処看

北宋の蘇軾(そしょく)(1036−1101)作。
明月に想う。

「飲湖上初晴後雨」蘇軾



水光瀲灔晴方好
山色空濛雨亦奇
欲把西湖比西子
淡粧濃抹総相宜

北宋の大詩人、蘇軾(そしょく)作。
西施(せいし)は、春秋時代の絶世の美女。西湖にて舟遊びをして、始めは晴れていたのに、途中で雨に降られた時の様子を風流に歌う。

「春夜」蘇軾



春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈

北宋の大詩人、蘇軾(そしょく)(1036−1101)作。
「春宵一刻直千金」は、大変有名なフレーズ。一刻は、わずか約15分ほどの時間のようです。
楼台も、ブランコも、昼間は大変にぎやかで華やかだった…と想像され、ひっそりした中に、なんとなく、その余韻が残っているような感じでしょうか。

「襄邑道中」陳与義



飛花両岸照船紅
百里楡堤半日風
臥看満天雲不動
不知雲与我倶東

南宋の陳与義(ちんよぎ)(1090−1138)作。
おだやかな船旅の風景。

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