忍者ブログ

漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「将東遊題壁」月性



男児立志
出郷関
若無成死不還
埋骨豈惟墳墓地
人間到処有青山


日本の幕末の僧、月性(げっしょう)(1817-1858)作。
PR

「癸巳五月三日北渡三首 其三」元好問



白骨縦横似乱麻
幾年桑梓変龍沙
只知河朔生霊尽
破屋疎煙却数家

元好問(げんこうもん)(1190−1257)作。
「癸巳五月三日北渡(きし ごがつみっか きたにわたる)三首」より其三。
モンゴル軍(のちに元を建国)に滅ぼされた、金の末期に生きた詩人。
金の滅亡の惨状を詩に残し、滅亡した祖国の史書編纂をし、モンゴルに仕官することはなかったという。

井波律子著『故事成語でたどる楽しい中国史』(岩波ジュニア新書、2004、190-191ページ)によると、のちに清の学者が、元好問の詩をこう評し、それは詩人の皮肉な運命を表現する成句となったという。

「国家の不幸は 詩家の幸い (こっかのふこうは しかのさいわい)
 賦して滄桑に到れば 句 便ち工なり (ふして そうそうにいたれば く すなわち たくみなり)」

(国家の不幸は詩人にとっては幸い。世の移り変わりをうたうとき、詩はたちまち巧みになる)

〔清〕趙翼 「題遺山」
身閲興亡浩劫空 両朝文献一衰翁
無官未害餐周粟 有史深愁失楚弓
行殿幽蘭悲夜火 故都喬木泣秋風
国家不幸詩家幸 賦到滄桑句便工

「自嘲」魯迅



運交華蓋欲何求
未敢翻身已碰頭
破帽遮顔過鬧市
漏船載酒泛中流
横眉冷対千夫指
俯首甘為孺子牛
躱進小楼成一統
管他冬夏与春秋

魯迅(ろじん)(1881−1936)作。
「華蓋」は、星の名前で、現在のカシオペア座あたり、坊主にはよいが俗人には悪い星だそうです。
「千夫の指」は、千人に指を指されたものは病気でなくても死ぬ、という言葉があるそうです。
この作品で有名なのは、

眉を横たえて冷やかに対す千夫の指
首を俯れて甘んじて為る孺子の牛

こちらのフレーズでしょうか。
現代の中国では、「孺子」を人民大衆を指すと解釈して、「敵には立ち向かい、人民には優しくする」というフレーズとして有名のようです。


※『魯迅全集』の第9巻(学研、1985)の「自ら嘲(あざけ)る」、入谷仙介氏の訳を参考にいたしました。

「浪淘沙令」李煜



簾外雨潺潺
春意闌珊
羅衾不耐五更寒
夢裏不知身是客
一餉貪歓

独自莫憑欄
無限江山
別時容易見時難
流水落花春去也
天上人間

唐の後、五代十国、南唐の後主、李煜(りいく)(937−978)作。
「浪淘沙令(ろうとうされい)」。詩ではなくて、「詞」になります。南唐滅亡の後、宋の都に幽閉されていたときの作。「天上 人間」は、名文句です。

「偶成」木戸孝允



才子恃才愚守愚
少年才子不如愚
請看他日業成後
才子不才愚不愚

日本の木戸孝允(きどたかよし)(1833−1877)作。
幕末〜明治初期に活躍し、明治維新をなしとげた人物のひとり。
「天まで届くアホになれ(軌保博光)」という言葉がありますが、でっかいバカになれ、という発想は、昔からあったのかなあ…。
ちょっと疑問に思ったのは、これの3コマ目の「他日 業成るの後」は、才子とバカ、両方にかかるんでしょうか…?
成功するのはバカで、才子は成功しないと言ってるんでしょうか…?
さすがにそれは才子に対してあんまりなので、才子も、業成った時には、成長していて、才をたのみにする人物じゃなくなっている、という意味だったらいいなあ…。
私がこの詩を読んでエールを送りたくなったのは、「愚直に突き進むバカ」よりも、「大人になって一度は心折れたであろう才子」のほうだなあ…。

イラスト:『紅楼夢』

中国古典『紅楼夢』の漫画風イラスト。
貴公子賈宝玉と、美少女の林黛玉。有名な、花を葬るシーン。
林黛玉は身体が丈夫じゃないので、こちらは後の伏線ですね…。



『紅楼夢』第27回で、花を葬るシーンに関連して出てきた「葬花吟」(葬花詞)が、これまたよいのです(長い作品ですので、以下、最後のハイライトです。全編を味わいたい方は「葬花吟」で検索してみてください)。

爾今死去儂収葬(今、あなたは死し、私はあなたを葬ったが)
未卜儂身何日喪(私とていつの命か分からない)
儂今葬花人笑痴(私が花を葬るのを人がおろかと笑っても)
他年葬儂知是誰(いつか、私を葬る人は誰なのだろう)
試看春残花漸落(春の残りに、花がことごとく散るのを見よ)
便是紅顔老死時(すなわちこれ、若者が老いて死ぬとき)
一朝春尽紅顔老(一朝、春が尽き、若者も老いれば)
花落人亡両不知(花も落ち、人も亡く、二つとも行方がしれない)

中島敦「山月記」の漢詩



偶因狂疾成殊類
災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵
当時声跡共相高
我為異物蓬茅下
君已乗軺気勢豪
此夕渓山対明月
不成長嘯但成嘷

中島敦「山月記」に出てくる漢詩。
唐の時代の中国。虎となってしまった詩人・李徴(りちょう)が、かつての友人と再会。己の身の上を語る…。
自分は天才だという自負が強すぎるために、周りの凡人たちと切磋琢磨できず、また、自分は本当は天才ではないのではと内心恐れるがゆえに、必死の努力もできず…。
プライドの高さが足かせとなって、大成できなかった天才詩人…。
高校時代、教科書で習って、授業中に萌えましたよ…。
自分は他のやつらと違い、将来、大詩人になる才能を持つ「天才」であるはずだ。なので、周囲にも尊大に振舞っている。だが、もしも必死に努力して、苦労の末に開花した才能が平凡なものだったら…?努力は無駄になる上に、「凡人」であることを周囲に暴露してしまう。それは、彼にとって恥なのです。
自分の中の才能や可能性の限界がまだわからなくて、自分は将来大物になるんだという根拠のないプライドと、そうではないかもという不安がある若い世代は、李徴の苦悩に、共感できるかもしれません。
李徴には自嘲癖があるのですが、「自嘲は、人に笑われる前に自分で笑うという、プライドの高さゆえだ」と、明るい性格に見えた国語の先生が言っていたのが、忘れられない…。
元々は、「人虎伝」という中国のお話で、この詩も「人虎伝」に登場するそうです。
岩波文庫の『唐宋伝奇集』の下巻にも、「李徴」というタイトルで同じお話が載っています。ただし、そちらには作中に漢詩が登場しないんですが…。

※ちくま文庫の『中島敦全集1』、及び『ちくま日本文学全集 中島敦』を参考にしました。

「答人」太上隠者



偶来松樹下
高枕石頭眠
山中無暦日
寒尽不知年

「唐詩選」に載っています。山で隠者が人に尋ねられて、この詩を言い残して去っていった…というエピソードつき。
石頭に眠る…というのは、絵では石の上に寝てますが、よく聞くように、石を枕代わりに、地面に眠っているのかもしれません(後で描き直すかも)。

ブログ内検索