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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

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「枯魚過河泣」無名氏



枯魚過河泣
何時悔復及
作書与魴鱮
相教慎出入

漢代の歌謡「枯魚(こぎょ)河を過ぎて泣く」。
出処進退の難しさをユーモアを交えて歌う。1コマ目の、干し魚が河を過ぎるという状態がシュールで、いまいち絵にするとなるとよくわからないのですが、イメージで描きました。
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「撃壌歌」無名氏



日出而作
日入而息
鑿井而飲
耕田而食
帝力何有於我哉

中国の神話上の名君・(ぎょう)が、自分の政治を民がどう思っているのか気になって、こっそり町にいくと、老人が歌っていた…という歌だそうな(詳しくは、ウィキペディアをどうぞ)。
下々の民が、「天子の力なんてオレに関係ないね」と言っていられるのは、世の中が平和な証拠、というのは真理ですね。

「江南」無名氏



江南可採蓮
蓮葉何田田
魚戯蓮葉間
魚戯蓮葉東
魚戯蓮葉西
魚戯蓮葉南
魚戯蓮葉北

漢代の歌謡。娘たちが歌う、蓮の実をつむ歌。
一人の娘が2コマ目までを独唱して、3コマと4コマ目のフレーズでみんなで合唱するらしい。蓮と戯れる魚は、男女のあいびきのたとえ。

『楚辞』より「離騒(一部)」屈原



…………………

乱曰 已矣哉
国無人莫我知兮
又何懐乎故都
既莫足与為美政兮
吾将従彭咸之所居

『楚辞』より長い作品である「離騒」のラスト部分。「乱に曰く」は、長い作品があって、最後にその内容のまとめを言うときのフレーズです。
屈原(くつ・げん)(前343?−前278?)作。
中国の戦国時代の末、楚の国の滅亡が迫る中、楚の貴族として生まれ、国のために必死に奮闘するも、政治の場から退けられ、やがて楚の都が秦の国によって陥落すると、絶望して入水自殺した。
長い作品ですが、全文の現代語訳をネットで探しつつ読んだら(すみません、岩波文庫の『楚辞』も持ってますが、解釈部分の言葉が古めかしくて難くて…)、美しい文と激しい絶望に泣けてきました…。
「又何ぞ故都を懐わん」と言ってますが、国を想う熱い気持ちが、裏にあるのでしょう。
後世の憂国の士の、心の叫びの代弁者、理解者となった作品です。

「褰裳」(一部)詩経・鄭風」

 

子恵思我
褰裳渉溱
子不我思
豈無他人
狂童之狂也且

子恵思我
褰裳渉洧
子不我思
豈無他士
狂童之狂也且

周代の中国最古の詩篇「詩経」より「褰裳(けんしょう)」、女の子が好きな男の子にいうセリフの恋歌。
今で言うツンデレでしょうか。
川を渡るのは、男だったり女だったり男女二人でだったり、解釈はいろいろのようでした。狂童之狂也且は、悪口のニュアンスのようです。
2番は、単語違いのほぼ同じ内容のリフレインです。

「無衣」(一部)詩経・秦風」 



豈曰無衣
與子同袍  
王于興師  
脩我戈矛  
與子同仇  

豈曰無衣  
與子同沢  
王于興師  
脩我矛戟  
與子偕作  

豈曰無衣  
與子同裳  
王于興師  
脩我甲兵  
與子偕行

周代の中国最古の詩篇「詩経」より、秦の国の兵士の歌。
仲間同士で歌いあって、秦の兵士たちは結束したのかな…。
2番、3番は、単語違いのほぼ同じ内容のリフレインです。

「碩鼠」(一部)詩経・魏風



碩鼠碩鼠
無食我黍
三歳貫女
莫我肯顧
逝将去女
適彼楽土
楽土楽土
爰得我所

(2節、3節省略。同じ内容の単語違いのリフレインです)
周代の中国最古の詩篇「詩経」より「碩鼠(せきそ)」。
重い税金に苦しむ農民の歌。

「玉樹後庭歌」陳叔宝



麗宇芳林対高閣
新妝艶質本傾城
映戸凝嬌乍不進
出帷含態笑相迎
妖姫臉似花含露
玉樹流光照後庭

南北朝時代、陳の後主・陳叔宝(ちんしゅくほう)(553ー604)作。
「玉樹後庭花(ぎょくじゅこうていか)」。隋に滅ぼされた、陳の亡国の天子。酒が好きで、政治をせず、豪奢な暮らしを送っていたのだそう。
こちらは、寵愛する妃を歌った作品。

「生年不満百」無名氏



生年不満百
常懐千歳憂
昼短苦夜長
何不秉燭遊
為楽当及時
何能待来茲
愚者愛惜費
但為後世嗤
仙人王子喬
難可与等期

漢代の詩、「古詩十九首」の第十五首。
王子喬(おうしきょう)は、仙人で、周の霊王の太子晋(しん)のこと。

「去者日以疎」無名氏



去者日以疎
来者日以親
出郭門直視
但見丘与墳
古墓犂為田
松柏摧為薪
白楊多悲風
蕭蕭愁殺人
思還故里閭
欲帰道無因

漢代の詩、「古詩十九首」の第十四首。
「去る者は日に以って疎し」…。
帰郷を願う旅人。

「迢迢牽牛星」無名氏



迢迢牽牛星
皎皎河漢女
繊繊擢素手
札札弄機杼
終日不成章
泣涕零如雨
河漢清且浅
相去復幾許
盈盈一水間
眽眽不得語

漢代の詩、「古詩十九首」の第十首。
七夕の織女と牽牛を歌う。
参考にいたしました朝日文庫の『中国名詩集』松浦友久著によりますと、どうやら、中国最古の詩歌全集『詩経』の小雅の「大東」に、すでに織女と牽牛が歌われているそうです。
その後、時代がくだって、「カササギが川に橋をかけて二人をあわせてくれる」という七夕伝説をあらわす内容のものとなると、梁の庾肩吾(ゆけんご)(?ー550?)の「七夕詩」があるそうです。どうやら、最初の頃の伝説では、二人は出会えなかったもよう…。カササギさまさまでしょうか…。

「短歌行」(一部)曹操



対酒当歌
人生幾何
譬如朝露
去日苦多
慨当以慷
幽思難忘
何以解憂
唯有杜康

三国時代、魏の曹操(そうそう)(155−220)作。
長い詩の最初の部分です。この後、すぐれた人材を集めたいものだ、という、想いが歌われます。
曹操は、三国志の物語でおなじみの、魏の英雄。『三国志演義』の中で、この詩は、かの赤壁の戦い(208年)のシーンで登場します。絵も、三国志のシーンに合わせて描いてみました。

「人日思帰」薛道衡



入春纔七日    
離家已二年
人帰落雁後  
思発在花前

薛道衡(せつどうこう)(540−609)。
隋を代表する詩人。かの隋の煬帝に、名声をねたまれて殺されたそうです。
「人日」とは、正月七日のこと。
人日に、北の故郷を思って。

「歌」李延年



北方有佳人
絶世而独立
一顧傾人城
再顧傾人国

李延年(りえんねん)(漢の武帝の宮廷楽士)作。
妹の美しさを歌って、武帝にアピールしたもの。
傾国の美女、とは今も聞かれるフレーズですね…。
国を滅ぼすほどの美女と歌われた李夫人ですが、早くに亡くなったので、実際に国を傾けはしなかったそうです。

「垓下歌」項羽



力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮若奈何

項羽(こうう)(前232−202)作(と、言われています)。
秦が滅亡し、その後、漢の高祖・劉邦(りゅうほう)と覇権を争い、敗れた楚の武将。
垓下(がいか)の地で、劉邦の軍に囲まれ、四方から、故郷である楚の歌が聞こえてきて、「ああ、故郷も劉邦に下ってしまったのか…」と、覚悟を決めて、最後の別れの宴をするのです…(いわゆる「四面楚歌」)。
虞美人は、項羽の愛人です。
それにしても、項羽…。亡くなったとき、31歳だったんですね…。
まさか、いつの間にか、自分より年下になってるとは思いませんでしたよ…(苦笑)。

「企喩歌」無名氏



男児可憐虫
出門懷死憂
尸喪狹谷中
白骨無人收

南北朝時代の、北朝の歌謡。
死して屍拾うものなし、のフレーズと、似ていますね…。

「無題」王梵志



我昔未生時
冥冥無所知
天公強生我
生我復何為
無衣使我寒
無食使我饑
還你天公我
還我未生時

隋の僧、王梵志の無題詩。

「薤露」「蒿里」漢代の挽歌



「薤露」は、漢代、貴人の挽歌。

薤上露
何易晞
露晞明朝更復落
人死一去何時帰



「蒿里」は、漢代、士大夫・庶民の挽歌。

蒿里誰家地
聚斂魂魄無賢愚
鬼伯一何相催促
人命不得少踟躕

棺の載った車を、ひきながら歌われます。
なんとも暗い詩ではありますが、「いっそ不吉で縁起が良かろう」(by小野不由美『十二国記』)ということで…(苦笑)。
ちなみに、蒿里は、画像では冥土と意訳していますが、泰山の南にある山で、魂が集まるという山のことです。

「上邪」無名氏



上邪
我欲与君相知
長命無絶衰
山無陵
江水為竭
冬雷震震
夏雨雪
天地合
即敢与君絶

漢代の歌謡。恋人に永遠の愛を誓ったもの。

「桃夭」(一部)詩経・周南



桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宜其室家

桃之夭夭
有蕡其実
之子于帰
宜其家室

桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于帰
宜其家人

周代の中国最古の詩篇「詩経」より、嫁入りする娘を祝福する歌。
嫁ぐ娘を、桃の木の、紅い花、ふっくらとした実、茂った葉に例えます。

「敕勒歌」斛律金



敕勒川
陰山下
天似穹廬
籠蓋四野
天蒼蒼
野茫茫
風吹草低見牛羊

北斉の武将・斛律金(488−567)が、トルコ系少数民族の歌を漢語に訳したもの……と、言われているそうです。

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