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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

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「嶺上逢久別者又別」権徳輿



十年曾一別
征路此相逢
馬首向何処
夕陽千万峰

権徳輿(けんとくよ)(759−818)作。中唐の政治家。
「嶺上久別の者に逢いて又た別る(れいじょう きゅうべつのものにあいて またわかる)」。
旅の途中、山の上で、10年前に別れた者と出会い、また別れた。「夕陽千万峰」、かなり広大な光景が広がっていそうです。
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「賦得古原草送別」白居易



離離原上草
一歳一枯栄
野火焼不尽
春風吹又生
遠芳侵古道
晴翠接荒城
又送王孫去
萋萋満別情

白居易(はくきょい)(772−846)作。
「古原の草を賦し得て、別れを送る」。
「古原の草」というお題を元に、16歳の白居易が作った作品。

※ミクシィの「漢詩・漢文・漢籍」コミュの、叔夜さまの書き下し文と訳を大いに参考にさせていただきました。

「洛陽早春」顧況



何地避春愁  
終年憶旧遊  
一家千里外  
百舌五更頭  
客路偏逢雨 
郷山不入楼 
故園桃李月  
伊水向東流  

顧況(こきょう)(725−814?)作。
早春の愁い。

※ミクシィの「漢詩・漢文・漢籍」コミュの、叔夜さまの書き下し文と訳を大いに参考にさせていただきました。

「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」白居易



日高睡足猶慵起
小閣重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聴
香炉峰雪撥簾看
匡廬便是逃名地
司馬仍為送老官
心泰身寧是帰処
故郷何独在長安

白居易(はくきょい)(772−846)作。
「香炉峰下(こうろほうか) 新たに山居を卜(ぼく)し 草堂初めて成り 偶(たまたま)東壁に題す」五首連作の第四首。
左遷され、廬山の地にやってきた白居易の詩。
やはり、「遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き 香炉峰の雪は簾を撥げて看る」が有名ですね。わが国の平安時代のエッセイ、『枕草子』で、清少納言が、中宮定子さまに「香炉峰の雪はいかならむ?」と聞かれて、この詩をふまえて簾を巻き上げたお話がおなじみです。
枕を欹てる、というのは、枕を傾ける、枕で耳を傾ける、枕に寝そべって…など、色々な解釈があるそうです(『中国名詩集』松浦友久著)。「この時代、どんな枕で、傾けるって一体どういうことだろ…」ということで、寝そべって、で描きました。

「登科後」孟郊



昔日齷齪不足誇
今朝放蕩思無涯
春風得意馬蹄疾
一日看尽長安花

孟郊(もうこう)(751−814)作。
50歳近くになって科挙(役人の登用試験)に合格した孟郊の、喜びあふれる詩。

「行宮」元稹



寥落故行宮
宮花寂寞紅
白頭宮女在
閑坐説玄宗

元稹(げんしん)(779−831)作。
ひっそりとした離宮にて、華やかだった玄宗皇帝と楊貴妃の時代を語る白髪の宮女。

「八月十五日夜禁中独直対月憶元九」白居易



銀台金闕夕沈沈
独宿相思在翰林
三五夜中新月色
二千里外故人心
渚宮東面煙波冷
浴殿西頭鐘漏深
猶恐清光不同見
江陵卑湿足秋陰

白居易(はくきょい)(772−846)作。
「八月十五日の夜 禁中に独り直(とのい)し月に対して元九を憶(おも)う」。
左遷された友・元槇(げんしん)を想う友情の詩。作中の「故人」は、古くからの友人という意味です。

「効陶潜体詩 其七」白居易





朝亦独酔歌
暮亦独酔睡
未尽一壷酒
已成三独酔
勿嫌飲太少
且喜歓易致
一盃復両盃
多不過三四
便得心中適
尽忘身外事
更復強一盃
陶然遺万累
一飲一石者
徒以多為貴
及其酩酊時
与我亦無異
笑謝多飲者
酒銭徒自費

白居易(はくきょい)(772−846)作。
「陶潜の体に効う詩(とうせんのたいにならうし)」、全十六首より、第七首。
東晋の、陶潜こと陶淵明ファンだった白居易が、陶淵明の作風で作った詩。
私もお酒がたくさん飲めませんので、こういう考え方には、はげまされます。

「離思」元稹



曾経滄海難為水
除却巫山不是雲
取次花叢懶回顧
半縁修道半縁君

元稹(げんしん)(779−831)作。
亡き妻・韋氏(名前は叢)を想う詩。
最初の二句が有名で、滄海を知れば他のものは海じゃない、巫山の雲を知れば他のものは雲じゃない(すなわち、妻を知れば他の女は女じゃない)、と歌います。
「聊斎志異」や、藤田あつ子の清朝推理漫画「煌如星シリーズ」などで引用されていたので、前半部は知っていたのですが、後半部は知らなくて…。
中国土産で頂いた中国語の漢詩の本に載っていたので、たぶん有名な詩だと思うのですが、日本語の参考図書が手元になかったので、ミクシィの漢詩・漢文・漢籍コミュにて、解釈のアドバイスを頂きました。
名前の部分には、ウィキペディアのページのリンクがついていますが、ウィキペディアの記述がホントなら、李賀が進士になれなかったのは、元稹の仕返しのせいなんですか…。李賀ファンなので複雑ですね…。

「秋思」張籍



洛陽城裏見秋風
欲作家書意万重
復恐怱怱説不尽
行人臨発又開封

張籍(ちょうせき)(768?−830?)作。

「秋日」耿湋



返照入閭巷
憂来誰共語
古道少人行
秋風動禾黍

耿湋(こうい)(734−?)作。

「秋夜寄丘二十二員外」韋応物



懷君属秋夜
散歩詠涼天
山空松子落
幽人応未眠

韋応物(いおうぶつ)(737−804?)作。
秋の夜、臨平山に隠棲している友・丘丹を思う。

「折楊柳」楊巨源



水辺楊柳麹塵糸
立馬煩君折一枝
惟有春風最相惜
殷勤更向手中吹

楊巨源(ようきょげん)(770?−?)作。
「折楊柳」は、楽府題で、別れの曲の定番。
別れの時、旅の無事を祈り、柳の枝を輪に結んで贈る習慣があったそうです。

「遊子吟」孟郊



慈母手中線
遊子身上衣
臨行密密縫
意恐遅遅帰
誰言寸草心
報得三春暉

孟郊(もうこう)(751−814)作。
旅立つわが子の衣服を縫う、慈愛深い母の心を歌う。

「重送裴郎中貶吉州」劉長卿



猿啼客散暮江頭
人自傷心水自流
同作逐臣君更遠
青山万里一孤舟

劉長卿(りゅうちょうけい)(709?−785?)作。
左遷された自分と友人、そして、友は自分よりも遠くの任地へ…。
「青山万里一孤舟」の名フレーズが心にしみます。

「渡桑乾」賈島



客舎并州已十霜
帰心日夜憶咸陽
無端更渡桑乾水
却望并州是故郷

賈島(かとう)(779−843)作。
「桑乾を渡る(そうかんをわたる)」。

「秋風引」劉禹錫



何処秋風至
蕭蕭送雁群
朝来入庭樹
孤客最先聞

中唐の劉禹錫(772−842)の作品。
秋風の音を真っ先に聞きつけたのは、自分が心に寂しさを抱える孤独な旅人「孤客」だからこそ。

「題都城南荘」崔護



去年今日此門中
人面桃花相映紅
人名祇今何処去
桃花依旧笑春風

中唐の、崔護「題都城南荘」。
この詩には、フィクションかノンフィクションかは分かりませんが、物語があるそうで…。
作者の青年が、都の南で一軒の家で若い女性に水をもらい、一年後に再び家を訪ねると女性の姿はなかったので、門にこの詩を書いて立ち去った。
数日後、青年が行くと、この家でお葬式があり、女性は、1年前から物思いにふけっていたが、書き付けられた詩を見たとたん、恋の病なのか、床についてしまい、すぐに亡くなってしまったという…。
月や花は変わらないのに人は変わっていく…というのは、よく見かけますね…。

「江村即事」司空曙



罷釣帰来不繋船
江村月落正堪眠
縦然一夜風吹去
只在蘆花浅水辺

司空曙(しくうしょ)(740−790?)作。

「尋隠者不遇」賈島



松下問童子
言師采薬去
只在此山中
雲深不知処

賈島(かとう)(779−843)作。
山に暮らす隠者先生を訪ねる。

「江雪」柳宗元



千山鳥飛絶
万徑人蹤滅
孤舟簑笠翁
独釣寒江雪

柳宗元(りゅうそうげん)(773−819)作。
水墨画のような冬の風景。

「楓橋夜泊」張継



月落烏啼霜満天
江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘声到客船

張継(ちょうけい)(生没年不詳)作。
蘇州の、楓橋のもとに船で泊まった時の情景。

「長恨歌」(一部)白居易



七月七日長生殿
夜半無人私語時
在天願作比翼鳥
在地願為連理枝

白居易(はくきょい)(772−846)作。
玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇のロマンスを描く長編詩「長恨歌」の一部より。

「憫農」李紳



鋤禾日当午
汗滴禾下土
誰知盤中餐
粒粒皆辛苦

李紳(りしん)(?−846)作。
「粒粒辛苦」の出典として有名な詩。

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