忍者ブログ

漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「梅花」王安石

 

牆角数枝梅
凌寒独自開
遥知不是雪
為有暗香来

北宋の王安石(おうあんせき)(1021−1086)作。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。
PR

「新春」真山民



余凍雪纔乾
初晴日驟喧
人心新歳月
春意旧乾坤
煙碧柳回色
焼青草返魂
東風無厚薄
随例到衡門

南宋の真山民(しんさんみん)(南宋末ー元初)作。
新しい年をうたう。「人心新歳月 春意旧乾坤」のフレーズが有名だそうです。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「偶成」木戸孝允



才子恃才愚守愚
少年才子不如愚
請看他日業成後
才子不才愚不愚

日本の木戸孝允(きどたかよし)(1833−1877)作。
幕末〜明治初期に活躍し、明治維新をなしとげた人物のひとり。
「天まで届くアホになれ(軌保博光)」という言葉がありますが、でっかいバカになれ、という発想は、昔からあったのかなあ…。
ちょっと疑問に思ったのは、これの3コマ目の「他日 業成るの後」は、才子とバカ、両方にかかるんでしょうか…?
成功するのはバカで、才子は成功しないと言ってるんでしょうか…?
さすがにそれは才子に対してあんまりなので、才子も、業成った時には、成長していて、才をたのみにする人物じゃなくなっている、という意味だったらいいなあ…。
私がこの詩を読んでエールを送りたくなったのは、「愚直に突き進むバカ」よりも、「大人になって一度は心折れたであろう才子」のほうだなあ…。

「江畔独歩尋花 其五」杜甫



黄師前江水東
春光懶困倚微風
桃花一簇開無主
可愛深紅愛浅紅

杜甫(とほ)(712−770)作。
「江畔独り歩して花を尋ぬ(こうはん ひとりほして はなをたずぬ)」より、其の五。
成都の西郊、浣花渓(かんかけい)の川の近くを歩いての作。
深紅を愛すべきか、浅紅を愛すべきか……。決めるのがとても難しい。

※『漢詩を読む 春の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「漫成」楊維禎



西隣昨夜哭暴卒
東家今日悲免官  
今日不知来日時   
人生可放杯酒乾

元の楊維禎(よういてい)(1296−1370)作。

「絶句」陳師道



書当快意読易尽
客有可人期不来
世事相違毎如此
好懐百歳幾回開

北宋の陳師道(ちんしどう)(1953−1101)作。

イラスト:『紅楼夢』

中国古典『紅楼夢』の漫画風イラスト。
貴公子賈宝玉と、美少女の林黛玉。有名な、花を葬るシーン。
林黛玉は身体が丈夫じゃないので、こちらは後の伏線ですね…。



『紅楼夢』第27回で、花を葬るシーンに関連して出てきた「葬花吟」(葬花詞)が、これまたよいのです(長い作品ですので、以下、最後のハイライトです。全編を味わいたい方は「葬花吟」で検索してみてください)。

爾今死去儂収葬(今、あなたは死し、私はあなたを葬ったが)
未卜儂身何日喪(私とていつの命か分からない)
儂今葬花人笑痴(私が花を葬るのを人がおろかと笑っても)
他年葬儂知是誰(いつか、私を葬る人は誰なのだろう)
試看春残花漸落(春の残りに、花がことごとく散るのを見よ)
便是紅顔老死時(すなわちこれ、若者が老いて死ぬとき)
一朝春尽紅顔老(一朝、春が尽き、若者も老いれば)
花落人亡両不知(花も落ち、人も亡く、二つとも行方がしれない)

「縦筆 其一」蘇軾



寂寂東坡一病翁
白須蕭散満霜風
小児誤喜朱顔在
一笑那知是酒紅

北宋の蘇軾(そしょく)(1036−1101)作。
「縦筆(じゅうひつ)」、三首のうちの其の一。
ちょっと哀しく、おかしみのあるユーモアがけっこう好きです。

「白菊」魏野



濃露繁霜著似無
幾多光彩照庭除
何須更待蛍兼雪
便好叢辺夜読書

北宋初めの魏野(ぎや)作。
「白菊(しらぎく)」。蛍の光や窓の雪で読書する故事「蛍雪の功」にたとえ、白菊で読書という美しいイメージを描きます。実際に読書をするのは無理そうですが、そこはあくまで詩的なイメージでしょうか。それを言うなら、蛍の光で読書も、よく考えたら、ちょっと無理っぽいですが…。

※『漢詩を読む 秋の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「暑夜」釈宋泐



此夜炎蒸不可当
開門高樹月蒼蒼
天河只在南楼上
不借人間一滴涼

明の釈宋泐(しゃくそうろく)作。
「暑夜(しょや)」。天の川、詩の中では涼しさを与えてくれないとは言っていますが、それでも、絵的には涼しそうです。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「涼州詞」王之渙



黄河遠上白雲間
一片孤城万仞山
羌笛何須怨楊柳
春光不度玉門関

王之渙(おうしかん)(696−?)作。
「涼州詞(りょうしゅうし)」、二首の一。辺境の兵士を歌う。
「折楊柳」は、別れの曲です。この兵士も故郷を出るときに、この曲で見送られたのかもしれませんが、春が来て柳が緑にならない辺境の地で、柳の歌など歌う必要はない、という、せいいっぱいの強がりです。

「雲」杜牧



尽日看雲首不回
無心都道似無才
可憐光彩一片玉
万里青天何処来

杜牧(とぼく)(803−852)作。
万里に広がる青空に、ぽつんと浮かぶ雲を眺める。
無心=無才、とは、ちょっと寂しい物言いですね…。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「夏日題悟空上人院」杜荀鶴



三伏閉門披一衲
兼無松竹蔭房廊
安禅不必須山水
滅却心頭火亦涼

杜荀鶴(とじゅんかく)(846−907)作。
「夏日悟空上人の院に題す(かじつ ごくうしょうにんのいんにだいす)」。
心頭を滅却すれば火もまた涼し、のフレーズは、戦国時代、織田信長が甲斐を攻めた時に、禅僧快川が、燃えるお寺の中で、こう言って焼死した話も有名ですね…。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「山亭夏日」高駢



緑樹陰濃夏日長
楼台倒影入池塘
水晶簾動微風起
一架薔薇満院香

高駢(こうべん)(821−887)作。
「山亭の夏日(さんていのかじつ)」。暑い夏の日、ふと、そよ風が起こり、薔薇の香りが広がる…。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「蚊」黄中堅



斗室何来豹脚蚊
殷如雷鼓聚如雲
無多一点英雄血
閑到衰年忍付君

清の黄中堅(こうちゅうけん)作。
蚊が、強そうです…。まるで戦場です。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「詠白牡丹」韋荘

 

閨中莫妬啼粧婦
陌上須慚傅粉郎
昨夜月明清似水
入門惟覚一庭香

韋荘(いそう)(836−910)作。
「白牡丹を詠ず」。華やかな牡丹の中でも、白い牡丹の美しさをたたえます。後半は、月夜の牡丹の香りを描きます。
「啼粧」は、後漢の孫寿のあみだした化粧法で、目の下だけおしろいを薄く塗り、泣いた後に見せたらしいです。

※『中国名詩集』(松浦友久著、朝日文庫、1992)を参考にしました。

「牡丹」皮日休



落尽残紅始吐芳
佳名喚作百花王
競誇天下無双艶
独占人間第一香

皮日休(ひじつきゅう)(833−883?)作。
牡丹をベタ誉めです。唐代では、牡丹の花が愛されていたそうです。詩には登場しませんが、絵には美人を添えて華やかに描きました。
ちなみに、日本では花びらが平べったく広がる品種が好まれ、中国では盛り上がって咲く品種が好まれたのだとか。
でも、牡丹の香り…。そんなにいい香りかなあ…。むしろ、臭いと感じた記憶があるんですが、品種によって違うのかも…。香りなら、牡丹よりも薔薇の方が好きですね…。もちろん、牡丹と薔薇はどちらも綺麗、ですけど。

※『漢詩を読む 春の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「行路難」李白





金樽清酒斗十千
玉盤珍羞直万銭
停杯投筯不能食
抜剣四顧心茫然
欲渡黄河氷塞川
将登太行雪満山
閑来垂釣碧渓上
忽復乗舟夢日辺
行路難
行路難
多岐路
今安在
長風破浪会有時
直挂雲帆済滄海

李白(りはく)(701−762)作。
「行路難(こうろなん)」。行路難し、行路難し…。この詩の心の激しさが好きです。

※『NHK漢詩紀行』(石川忠久著、日本放送出版協会、1991)を参考にいたしました。

「萍池」王維



春池深且広
会待軽舟廻
靡靡緑萍合
垂楊掃復開

王維(おうい)(701−761)作。
「萍池(へいち)」。春の池の風景。

「題酒家」韋荘



酒緑花紅客愛詩
落花春岸酒家旗
尋思避世為逋客
不酔長醒也是痴

韋荘(いそう)(836?ー910)作。
「酒家に題す(しゅかにだいす)」。酒屋にて。

「宣城見杜鵑花」李白



蜀国曾聞子規声
宣城還見杜鵑花
一叫一廻腸一断
三春三月憶三巴

李白(りはく)(701−762)作。
宣城(今の安徽省)にて、故郷の蜀を想う…。ホトトギスは、子規、杜鵑、杜宇、不如帰、蜀魂……などの異名を持ちます。むかし、周の末期のころ、蜀の王様・杜宇(とう)が、他国に亡命、再び王になることができずに亡くなり、その哀しい魂がホトトギスになった…というお話があるそうです。

「哭晁卿衡」李白



日本晁卿辞帝都
征帆一片遶蓬壷
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧

李白(りはく)(701−762)作。
「晁卿衡を哭す(ちょうけいこうをこくす)」。日本の晁衡(朝衡)とは、阿倍仲麻呂のこと。阿倍仲麻呂が、日本に帰国しようとして、難破して死んだと聞いて作った詩。実際には、阿倍仲麻呂は生きていて、以後、中国で一生を終えました。
「蒼梧」が、「広西の地名」と、「湖南省の山の名前(舜帝が死んだ所)」の、どちらか迷いました。阿倍仲麻呂はベトナムに流れ着いたので、広西ならベトナムの隣ですから、近いのは前者です(ただ、今の広西の蒼梧県は、海辺でなくてけっこう内陸です)。
もしかしたら、阿倍仲麻呂が遭難した近くの地名を出しながら、暗に、帝舜の亡くなった山を指しているのかもしれませんね…。日本からの友人を、古の帝舜の死とストレートに重ねるのはちょっと違和感もありますけど…。

「峨眉山月歌」李白



峨眉山月半輪秋
影入平羌江水流
夜発清溪向三峡
思君不見下渝州

李白(りはく)(701−762)作。
「峨眉山月の歌(がびさんげつのうた)」。峨眉山は、四川省・成都近くにある名山(すみません…、北から見た画像がわからなかったので、グーグルの地図を見て想像で描いてます…)。李白が若いころ、故郷を出発した時の詩ではないかと言われているそうです。

「独坐敬亭山」李白



衆鳥高飛尽
孤雲独去閑
相看両不厭
只有敬亭山

李白(りはく)(701−762)作。
「独り敬亭山に坐す(ひとりけいていざんにざす)」。自然の中で山と向き合う。

「哭宣城善釀紀叟」李白



紀叟黄泉裏
還応醸老春
夜台無李白
沽酒与何人

李白(りはく)(701−762)作。
「宣城(せんじょう)の善釀紀叟(ぜんじょう・きそう)を哭す(こくす)」。
酒造りの名人・紀じいさんを悼む。「老春」は、じいさんの作るお酒の名前。

ブログ内検索