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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

「梅花絶句 其三」陸游



聞道梅花坼暁風
雪堆遍満四山中
何方可化身千億
一樹梅前一放翁

南宋の陸游(りくゆう)作(1125−1210)。
全六首の、其の三。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。
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「雪梅」盧梅坡



其一

梅雪争春未肯降
騒人閣筆費平章
梅須遜雪三分白
雪却輸梅一段香



其二

有梅無雪不精神
有雪無詩俗了人
薄暮詩成天又雪
与梅併作十分春

南宋の盧梅坡(ろばいは)(南宋末)の作(作者は方岳とする説あり)。
二首連作で、其の一、および、其の二。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「山園小梅」林逋



衆芳揺落独暄妍
占尽風情向小園
疎影横斜水清浅
暗香浮動月黄昏
霜禽欲下先偸眼
粉蝶如知合断魂
幸有微吟可相狎
不須檀板共金尊

北宋の林逋(りんぽ)(967−1027)作。
梅の詩といえばこれ、という宋代の名詩。
「疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏」は特に有名なフレーズだそうです。

「己亥雑詩 其五」龔自珍



浩蕩離愁白日斜
吟鞭東指即天涯
落紅不是無情物
化作春泥更護花

清の詩人龔自珍(きょう・じちん)(1792−1841)は、中国が激動の時代を迎えるアヘン戦争(1840年)前夜を生きた人物です。
陳舜臣の小説「阿片戦争」にも登場します。
詩人の鋭い感性で時局を見つめ、国を憂いているのに、官僚としては国を動かす立場に出世できない…。
この詩は彼が官界を退いた時の詩です。

下のイラストは、同じ詩を描いた、「御待堂」さまの作品です。

「梅花」王安石

 

牆角数枝梅
凌寒独自開
遥知不是雪
為有暗香来

北宋の王安石(おうあんせき)(1021−1086)作。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「新春」真山民



余凍雪纔乾
初晴日驟喧
人心新歳月
春意旧乾坤
煙碧柳回色
焼青草返魂
東風無厚薄
随例到衡門

南宋の真山民(しんさんみん)(南宋末ー元初)作。
新しい年をうたう。「人心新歳月 春意旧乾坤」のフレーズが有名だそうです。

※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「偶成」木戸孝允



才子恃才愚守愚
少年才子不如愚
請看他日業成後
才子不才愚不愚

日本の木戸孝允(きどたかよし)(1833−1877)作。
幕末〜明治初期に活躍し、明治維新をなしとげた人物のひとり。
「天まで届くアホになれ(軌保博光)」という言葉がありますが、でっかいバカになれ、という発想は、昔からあったのかなあ…。
ちょっと疑問に思ったのは、これの3コマ目の「他日 業成るの後」は、才子とバカ、両方にかかるんでしょうか…?
成功するのはバカで、才子は成功しないと言ってるんでしょうか…?
さすがにそれは才子に対してあんまりなので、才子も、業成った時には、成長していて、才をたのみにする人物じゃなくなっている、という意味だったらいいなあ…。
私がこの詩を読んでエールを送りたくなったのは、「愚直に突き進むバカ」よりも、「大人になって一度は心折れたであろう才子」のほうだなあ…。

「江畔独歩尋花 其五」杜甫



黄師前江水東
春光懶困倚微風
桃花一簇開無主
可愛深紅愛浅紅

杜甫(とほ)(712−770)作。
「江畔独り歩して花を尋ぬ(こうはん ひとりほして はなをたずぬ)」より、其の五。
成都の西郊、浣花渓(かんかけい)の川の近くを歩いての作。
深紅を愛すべきか、浅紅を愛すべきか……。決めるのがとても難しい。

※『漢詩を読む 春の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「漫成」楊維禎



西隣昨夜哭暴卒
東家今日悲免官  
今日不知来日時   
人生可放杯酒乾

元の楊維禎(よういてい)(1296−1370)作。

「絶句」陳師道



書当快意読易尽
客有可人期不来
世事相違毎如此
好懐百歳幾回開

北宋の陳師道(ちんしどう)(1953−1101)作。

イラスト:『紅楼夢』

中国古典『紅楼夢』の漫画風イラスト。
貴公子賈宝玉と、美少女の林黛玉。有名な、花を葬るシーン。
林黛玉は身体が丈夫じゃないので、こちらは後の伏線ですね…。



『紅楼夢』第27回で、花を葬るシーンに関連して出てきた「葬花吟」(葬花詞)が、これまたよいのです(長い作品ですので、以下、最後のハイライトです。全編を味わいたい方は「葬花吟」で検索してみてください)。

爾今死去儂収葬(今、あなたは死し、私はあなたを葬ったが)
未卜儂身何日喪(私とていつの命か分からない)
儂今葬花人笑痴(私が花を葬るのを人がおろかと笑っても)
他年葬儂知是誰(いつか、私を葬る人は誰なのだろう)
試看春残花漸落(春の残りに、花がことごとく散るのを見よ)
便是紅顔老死時(すなわちこれ、若者が老いて死ぬとき)
一朝春尽紅顔老(一朝、春が尽き、若者も老いれば)
花落人亡両不知(花も落ち、人も亡く、二つとも行方がしれない)

「縦筆 其一」蘇軾



寂寂東坡一病翁
白須蕭散満霜風
小児誤喜朱顔在
一笑那知是酒紅

北宋の蘇軾(そしょく)(1036−1101)作。
「縦筆(じゅうひつ)」、三首のうちの其の一。
ちょっと哀しく、おかしみのあるユーモアがけっこう好きです。

「白菊」魏野



濃露繁霜著似無
幾多光彩照庭除
何須更待蛍兼雪
便好叢辺夜読書

北宋初めの魏野(ぎや)作。
「白菊(しらぎく)」。蛍の光や窓の雪で読書する故事「蛍雪の功」にたとえ、白菊で読書という美しいイメージを描きます。実際に読書をするのは無理そうですが、そこはあくまで詩的なイメージでしょうか。それを言うなら、蛍の光で読書も、よく考えたら、ちょっと無理っぽいですが…。

※『漢詩を読む 秋の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「暑夜」釈宋泐



此夜炎蒸不可当
開門高樹月蒼蒼
天河只在南楼上
不借人間一滴涼

明の釈宋泐(しゃくそうろく)作。
「暑夜(しょや)」。天の川、詩の中では涼しさを与えてくれないとは言っていますが、それでも、絵的には涼しそうです。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「涼州詞」王之渙



黄河遠上白雲間
一片孤城万仞山
羌笛何須怨楊柳
春光不度玉門関

王之渙(おうしかん)(696−?)作。
「涼州詞(りょうしゅうし)」、二首の一。辺境の兵士を歌う。
「折楊柳」は、別れの曲です。この兵士も故郷を出るときに、この曲で見送られたのかもしれませんが、春が来て柳が緑にならない辺境の地で、柳の歌など歌う必要はない、という、せいいっぱいの強がりです。

「雲」杜牧



尽日看雲首不回
無心都道似無才
可憐光彩一片玉
万里青天何処来

杜牧(とぼく)(803−852)作。
万里に広がる青空に、ぽつんと浮かぶ雲を眺める。
無心=無才、とは、ちょっと寂しい物言いですね…。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「夏日題悟空上人院」杜荀鶴



三伏閉門披一衲
兼無松竹蔭房廊
安禅不必須山水
滅却心頭火亦涼

杜荀鶴(とじゅんかく)(846−907)作。
「夏日悟空上人の院に題す(かじつ ごくうしょうにんのいんにだいす)」。
心頭を滅却すれば火もまた涼し、のフレーズは、戦国時代、織田信長が甲斐を攻めた時に、禅僧快川が、燃えるお寺の中で、こう言って焼死した話も有名ですね…。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「山亭夏日」高駢



緑樹陰濃夏日長
楼台倒影入池塘
水晶簾動微風起
一架薔薇満院香

高駢(こうべん)(821−887)作。
「山亭の夏日(さんていのかじつ)」。暑い夏の日、ふと、そよ風が起こり、薔薇の香りが広がる…。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「蚊」黄中堅



斗室何来豹脚蚊
殷如雷鼓聚如雲
無多一点英雄血
閑到衰年忍付君

清の黄中堅(こうちゅうけん)作。
蚊が、強そうです…。まるで戦場です。

※『漢詩を読む 夏の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「詠白牡丹」韋荘

 

閨中莫妬啼粧婦
陌上須慚傅粉郎
昨夜月明清似水
入門惟覚一庭香

韋荘(いそう)(836−910)作。
「白牡丹を詠ず」。華やかな牡丹の中でも、白い牡丹の美しさをたたえます。後半は、月夜の牡丹の香りを描きます。
「啼粧」は、後漢の孫寿のあみだした化粧法で、目の下だけおしろいを薄く塗り、泣いた後に見せたらしいです。

※『中国名詩集』(松浦友久著、朝日文庫、1992)を参考にしました。

「牡丹」皮日休



落尽残紅始吐芳
佳名喚作百花王
競誇天下無双艶
独占人間第一香

皮日休(ひじつきゅう)(833−883?)作。
牡丹をベタ誉めです。唐代では、牡丹の花が愛されていたそうです。詩には登場しませんが、絵には美人を添えて華やかに描きました。
ちなみに、日本では花びらが平べったく広がる品種が好まれ、中国では盛り上がって咲く品種が好まれたのだとか。
でも、牡丹の香り…。そんなにいい香りかなあ…。むしろ、臭いと感じた記憶があるんですが、品種によって違うのかも…。香りなら、牡丹よりも薔薇の方が好きですね…。もちろん、牡丹と薔薇はどちらも綺麗、ですけど。

※『漢詩を読む 春の詩100選』(石川忠久著、日本放送出版協会、1996)を参考にいたしました。

「行路難」李白





金樽清酒斗十千
玉盤珍羞直万銭
停杯投筯不能食
抜剣四顧心茫然
欲渡黄河氷塞川
将登太行雪満山
閑来垂釣碧渓上
忽復乗舟夢日辺
行路難
行路難
多岐路
今安在
長風破浪会有時
直挂雲帆済滄海

李白(りはく)(701−762)作。
「行路難(こうろなん)」。行路難し、行路難し…。この詩の心の激しさが好きです。

※『NHK漢詩紀行』(石川忠久著、日本放送出版協会、1991)を参考にいたしました。

「萍池」王維



春池深且広
会待軽舟廻
靡靡緑萍合
垂楊掃復開

王維(おうい)(701−761)作。
「萍池(へいち)」。春の池の風景。

「題酒家」韋荘



酒緑花紅客愛詩
落花春岸酒家旗
尋思避世為逋客
不酔長醒也是痴

韋荘(いそう)(836?ー910)作。
「酒家に題す(しゅかにだいす)」。酒屋にて。

「宣城見杜鵑花」李白



蜀国曾聞子規声
宣城還見杜鵑花
一叫一廻腸一断
三春三月憶三巴

李白(りはく)(701−762)作。
宣城(今の安徽省)にて、故郷の蜀を想う…。ホトトギスは、子規、杜鵑、杜宇、不如帰、蜀魂……などの異名を持ちます。むかし、周の末期のころ、蜀の王様・杜宇(とう)が、他国に亡命、再び王になることができずに亡くなり、その哀しい魂がホトトギスになった…というお話があるそうです。

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