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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

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「怨情」李白



美人捲珠簾
深坐顰蛾眉
但見涙痕湿
不知心恨誰

李白(りはく)(701−762)作。
愛に悩み涙する美人の詩。眉をひそめる表情は、「西施の顰に倣う(せいしのひそみにならう)」の故事でもおなじみの、美人の色っぽい表情でしょうか。
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「登科後」孟郊



昔日齷齪不足誇
今朝放蕩思無涯
春風得意馬蹄疾
一日看尽長安花

孟郊(もうこう)(751−814)作。
50歳近くになって科挙(役人の登用試験)に合格した孟郊の、喜びあふれる詩。

「偶興」羅陰



逐隊随行二十春
曲江池畔避車塵
如今贏得将衰老
閑看人間得意人

羅陰(らいん)(833−909)作。
役人の試験に落ち続けた過去を振り返る。合格者は、曲江池での皇帝の宴に参加できます。

「宿建徳江」孟浩然



移舟泊煙渚
日暮客愁新
野曠天低樹
江清月近人

孟浩然(もうこうねん)(689−740)作。
「建徳江に宿る(けんとくこうにやどる)」。江南にて、舟の中で、旅の一夜を過ごす。川辺の夜の風景がきれいです。

「行宮」元稹



寥落故行宮
宮花寂寞紅
白頭宮女在
閑坐説玄宗

元稹(げんしん)(779−831)作。
ひっそりとした離宮にて、華やかだった玄宗皇帝と楊貴妃の時代を語る白髪の宮女。

「対花」于濆



花開蝶満枝
花落蝶還稀
惟有旧巣燕
主人貧亦帰

于濆(うふん)(生没年不詳(861年の進士))作。

「金縷衣」杜秋娘(?)



勧君莫惜金縷衣
勧君須惜少年時
花開堪折直須折
莫待無花空折枝

杜秋娘(としゅうじょう)(生没年不詳)が、よく歌っていたという「金縷の衣(きんるのい)」(彼女が作ったわけではないようです)。
15歳で節度使・李キ(キは、金へんに奇)の妾となるも、807年、李キが反乱を起こして処罰され、彼女は宮中に入って、天子の寵愛を受ける。その後、皇子のお守り役になるが、皇子が罪に落ち、故郷に帰ったという。波乱万丈の人生を送った女性。
女性の「若い私を愛して」という愛の歌にとれますが、「若者よ勉強しろ」という、教訓のようにもとれますね…。

「杜秋娘詩」(一部)杜牧



……………

地尽有何物
天外復何之
指何為而捉
足何為而馳
耳何為而聴
目何為而窺
己身不自暁
此外何思惟

……………

杜牧(とぼく)(803−852)作。
長篇「杜秋娘の詩(としゅうじょうの詩)」より、ラスト部分。
杜秋娘という、数奇な運命をたどった女性の生涯を歌い、続いて数奇な運命をたどった歴史上の人物たちのことをあげて、運命を支配する天の意図が人間にはわからないことを言い、このフレーズが続きます。最後に、「ゆえに酒を飲みながらこの詩を書いた、悲しみにくれたときに吟詠すれば、わが心を楽しませ慰めることができよう」、と詩はしめくくられます。

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)を、おおいに参考にさせていただきました。
【参考文献『杜牧詩選』(岩波文庫)について】
杜牧の詩は、今まで有名な作品を数編しか知らなかったのですが、132首もの詩が入った詩集が出ていると知り、読んでみました。作品も素晴らしいのですが、解説がとても丁寧です。絵にするさいに、イメージがより浮かびやすかったです。ぜひ、ご一読をオススメします。

「秋夕」杜牧



紅燭秋光冷画屏
軽羅小扇撲流蛍
瑶階夜色涼如水
坐看牽牛織女星

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「秋夕(しゅうせき)」。天子に愛されない宮女の夜を歌う。秋の扇は、捨てられた女の例えとして、この詩が出来る以前からある例えです。

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)をおおいに参考にしました。

「寄揚州韓綽判官」杜牧



青山隠隠水迢迢
秋尽江南草木凋
二十四橋明月夜
玉人何処教吹簫

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「揚州の韓綽判官(かんしゃくはんがん)に寄す」。
最後の「玉人」は、歌妓を指すか、韓綽判官を指すか、二つの解釈があるようです。いずれにせよ、美女が簫を吹いているシーンですね…。美男子が美女といっしょにいるほうが絵になるので、後者をとってみました。
「簫」は、中国のフエで、尺八のようなタイプと、何本も管がついているパンパイプのタイプがあるようです。どっちだろう…。

「薔薇花」杜牧



朶朶精神葉葉柔
雨晴香払酔人頭
石家錦障依然在
閑倚狂風夜不収

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「薔薇花(しょうびか)」。この時代の中国の薔薇がどのようなものなのかはわかりませんが、香りのある品種のようです。
西晋の石崇は、豪華な錦の歩障(歩く時に目隠しにする幕)を作らせたのだそうで、薔薇の咲き誇るさまを、この歩障にたとえてあります。

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)をおおいに参考にしました。

「題禅院」杜牧



觥船一棹百分空
十歳青春不負公
今日鬢糸禅榻畔
茶煙軽颺落花風

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「禅院に題す(ぜんいんにだいす)」。杜牧晩年の作。糖尿病で、お酒が飲めなくなり、お茶を飲む。でも、「十歳の青春 公に負かず」は、胸をはって言っているようで、格好いいなあ…(「公」の字は何を指すかは、色々な解釈があるようです)。

「雨」杜牧



連雲接塞添迢逓
灑幕侵灯送寂寥
一夜不眠孤客耳
主人窓外有芭蕉

杜牧(とぼく)(803−852)作。
芭蕉の、夜雨が葉にあたる音は、寂しい音として詩の題材にされるそうです。南の植物なので、辺境といっても南の方でしょうか…?

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)を参考にさせていただきました。

「紫薇花」杜牧



暁迎秋露一枝新
不占園中最上春
桃李無言又何在
向風偏笑艶陽人

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「紫薇花(しびか)」。秋に咲く、百日紅(さるすべり)をうたう。百日紅は、花の咲く時期が長く、次から次へと花が咲きます。

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)を、おおいに参考にさせていただきました。

「過華清宮絶句 其一」杜牧



長安廻望繍成堆
山頂千門次第開
一騎紅塵妃子笑
無人知是茘枝来

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「華清宮に過る 絶句(かせいきゅうによぎる ぜっく)」、三首より、其の一。
南の果物、ライチーは楊貴妃の好物。早馬で大急ぎで運ばないといけなかったそうです。詩には、ちょっと皮肉もはいっているようです。その微笑みは、傾国の美女の微笑み。

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)を、おおいに参考にさせていただきました。

「漢江」杜牧



溶溶漾漾白鷗飛
緑浄春深好染衣
南去北来人自老
夕陽長送釣船帰

杜牧(とぼく)(803−852)作。
白いカモメ、青い水、紅い夕陽。色彩豊かで、かつ、せつなさもある作品。

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)をおおいに参考にさせていただきました。

「嘆花」杜牧



自恨尋芳到已遅
往年曾見未開時
如今風擺花狼藉
緑葉成陰子満枝

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「花を嘆く(はなをなげく)」。この詩は、人妻になってしまった少女を花に例えているのでは…という解釈があるそうです。

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)をおおいに参考にしました。

「山石榴」杜牧



似火山榴映小山
繁中能薄艶中閑
佳人玉釵上
疑焼却翠雲鬟

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「山石榴(さんせきりゅう)」。つつじをうたう。

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)を、おおいに参考にさせていただきました。

「金谷園」杜牧



繁華事散逐香塵
流水無情草自春
日暮東風怨啼鳥
落花猶似堕楼人

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「金谷園(きんこくえん)」。西晋の石崇の荘園。紀元300年、石崇の愛妾の緑珠を手に入れようとした孫秀が、石崇を罪に陥れようとしたので、緑珠は身を投げて死に、石崇もやがて処刑された…という悲しいエピソードがあるそうです。

※『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行編訳、岩波文庫、2004)を、おおいに参考にさせていただきました。

「泊秦淮」杜牧



烟籠寒水月籠沙
夜泊秦淮近酒家
商女不知亡国恨
隔江猶唱後庭花

杜牧(とぼく)(803−852)作。
「秦淮に泊す(しんわいにはくす)」。「後庭歌」は、南北朝時代、隋に滅ぼされた陳の後主の「玉樹後庭歌」のこと。寵愛する妃の美しさを歌った歌で、歌そのものは甘美です。亡国の恨みなどわからない妓女が酒楼で歌う。どこかせつないですね…。

「玉樹後庭歌」陳叔宝



麗宇芳林対高閣
新妝艶質本傾城
映戸凝嬌乍不進
出帷含態笑相迎
妖姫臉似花含露
玉樹流光照後庭

南北朝時代、陳の後主・陳叔宝(ちんしゅくほう)(553ー604)作。
「玉樹後庭花(ぎょくじゅこうていか)」。隋に滅ぼされた、陳の亡国の天子。酒が好きで、政治をせず、豪奢な暮らしを送っていたのだそう。
こちらは、寵愛する妃を歌った作品。

「八月十五日夜禁中独直対月憶元九」白居易



銀台金闕夕沈沈
独宿相思在翰林
三五夜中新月色
二千里外故人心
渚宮東面煙波冷
浴殿西頭鐘漏深
猶恐清光不同見
江陵卑湿足秋陰

白居易(はくきょい)(772−846)作。
「八月十五日の夜 禁中に独り直(とのい)し月に対して元九を憶(おも)う」。
左遷された友・元槇(げんしん)を想う友情の詩。作中の「故人」は、古くからの友人という意味です。

「終南山」王維



太乙近天都
連山到海隅
白雲廻望合
青靄入看無
分野中峰変
陰晴衆壑殊
欲投人処宿
隔水問樵夫

王維(おうい)(701−761)作。
終南山は、長安の東南にある山です。

「少年行」王維



新豐美酒斗十千
咸陽遊侠多少年
相逢意気為君飮
繋馬高楼垂柳辺

王維(おうい)(701−761)作。
「少年行(しょうねんこう)」、全四首の内の第一首。
「少年行」は楽府題
これから気前よく、高いお酒を飲むのでしょうか。

「擬古 其七」陶淵明



日暮天無雲
春風扇微和
佳人美清夜
達曙酣且歌
歌竟長歎息
持此感人多
皎皎雲間月
灼灼葉中華
豈無一時好
不久当如何

陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
「古に擬す(いにしえにぎす)」、全九首の、第七首。

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