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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

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「読山海経 其十」陶淵明



精衛銜微木
将以塡滄海
刑天舞干戚
猛志固常在
同物既無慮
化去不復悔
徒設在昔心
良晨詎可待

陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
「山海経を読む(せんがいきょうをよむ)」、十三首のうちの其の十。
山海経』は、中国最古の地理書。神や、不思議な生き物の話も入っています。
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「鳥鳴澗」王維



人閑桂花落
夜静春山空
月出驚山鳥
時鳴春澗中

王維(おうい)(701−761)作。
「皇甫嶽雲渓雑題(こうほがくうんけいざつだい)」五首の一、「鳥鳴澗(ちょうめいかん)」。雲渓の皇甫嶽にあった別荘の風景。「鳥鳴澗」の澗とは、谷川のことだそうです。

「田園楽 其五」王維



山下孤烟遠村
天辺独樹高原
一瓢顔回陋巷
五柳先生対門

王維(おうい)(701−761)作。
「田園楽(でんえんらく)」、七首連作の其の五。
顔回は、孔子の弟子。五柳先生は、晋の陶淵明
顔回が路地に住んでいそうな、陶淵明が真向かいに住んでいそうな、そんな田舎の風景でしょうか。

「田園楽 其六」王維



桃紅復含宿雨
柳緑更帯春煙
花落家僮未掃
鶯啼山客猶眠

王維(おうい)作。
「田園楽(でんえんらく)」、七首連作の其の六。

「責子」陶淵明



白髪被両鬢
肌膚不復実
雖有五男児
総不好紙筆
阿舒已二八
懶惰故無匹
阿宣行志学
而不好文術
雍端年十三
不識六与七
通子垂九齡
但覓梨与栗
天運苟如此
且進杯中物

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
「子を責む(こをせむ)」。出来の良くない五人の息子たちをユーモラスにうたう。

「酔後」王績



阮籍醒時少
陶潜酔日多
百年何足度
乗興且長歌

王績(おうせき)(585−644)作。
阮籍も陶潜(陶淵明)も、お酒好きで有名な文人。王績も、負けず劣らず、相当のお酒好きだったそうです。

「閑情賦」(一部)陶淵明



………………

願在衣而為領
承華首之余芳
悲羅襟之宵離
怨秋夜之未央

願在裳而為帯
束窈窕之繊身
嗟温涼之異気
或脱故而服新

………………

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
「閑情の賦(かんじょうのふ)」。作品は、(韻文の一種)です。情欲におぼれるのをいましめる目的の賦…。なんですが…。なんとなく、お酒を飲みながら歌われる歌のような感じですよ…。
長い作品で、女性の美しさをたたえた後、そなたの襟になりたい、帯になりたい、髪では髪油に、眉なら眉墨に…、生糸なら靴に…、昼なら影に、夜なら灯火に…と、いう調子で続き、恋わずらいの想いを述べます。
陶淵明…。こんな艶っぽい作品書いていたのですね…。久しぶりに岩波文庫の『陶淵明全集』を読みまして、衝撃をうけました(笑)。古来評価が分かれる作品だそうです。でも、ユーモアあふれる面白い作品です。

「諸人共游周家墓柏下」陶淵明

 

今日天気佳
清吹与鳴弾
感彼柏下人
安得不為歓
清歌散新声
緑酒開芳顔
未知明日事
余襟良已殫

陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
「諸人と共に周家の墓の柏の下に遊ぶ」。なんと、墓場で宴会です。岩波文庫の『陶淵明全集』によりますと、おそらく晋代では珍しくなかったのでは、とのこと(当時の名士は、自分は死生を超越しているんだと、誇示する行為をしたそうで…)。
死者の墓のそばで、生者が酒宴を開く…。なんとなく、わかりそうな、わからないような、心意気。

「効陶潜体詩 其七」白居易





朝亦独酔歌
暮亦独酔睡
未尽一壷酒
已成三独酔
勿嫌飲太少
且喜歓易致
一盃復両盃
多不過三四
便得心中適
尽忘身外事
更復強一盃
陶然遺万累
一飲一石者
徒以多為貴
及其酩酊時
与我亦無異
笑謝多飲者
酒銭徒自費

白居易(はくきょい)(772−846)作。
「陶潜の体に効う詩(とうせんのたいにならうし)」、全十六首より、第七首。
東晋の、陶潜こと陶淵明ファンだった白居易が、陶淵明の作風で作った詩。
私もお酒がたくさん飲めませんので、こういう考え方には、はげまされます。

「止酒」陶淵明





居止次城邑
逍遥自閑止
坐止高蔭下
歩止篳門裏
好味止園葵
大懽止稚子
平生不止酒
止酒情無喜
暮止不安寝
晨止不能起
日日欲止之
営衛止不理
徒知止不楽
未信止利己
始覚止為善
今朝真止矣
此従一止去
将止扶桑涘
清顏止宿容
奚止千万祀

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
「酒を止む(さけをやむ)」。各句に、「止」という字を入れて、色々な使い方をして作った、戯れの詩。遊びで作った詩で、陶淵明が、本当に、酒をやめたわけではない…という説が有力のようです。お酒はやめないですよね、陶淵明なら…。

※『陶淵明全集』(松枝茂夫・和田武司著、岩波文庫、1990)を、大いに参考にさせていただきました。

「移居 其二」陶淵明



春秋多佳日
登高賦新詩
過門更相呼
有酒斟酌之
農務各自帰
閑暇輒相思
相思則披衣
言笑無厭時
此理将不勝
無為忽去茲
衣食当須紀
力耕不吾欺

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
「居を移す」、二首連作の其の二。「力耕 吾(われ)を欺かず」は、ちょっと格好いいフレーズです。

「帰園田居 其一」陶淵明





少無適俗韻
性本愛丘山
誤落塵網中
一去十三年
羈鳥恋旧林
池魚思故淵
開荒南野際
守拙帰園田
方宅十余畝
草屋八九間
楡柳蔭後簷
桃李羅堂前
曖曖遠人村
依依墟里煙
狗吠深巷中
鷄鳴桑樹巓
戸庭無塵雜
虚室有餘間
久在樊籠裏
復得返自然

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
「園田の居に帰る」、五首連作の其の一。役人生活をやめて、田舎に戻ってきた陶淵明。
高校時代に、NHK漢詩紀行で知りまして、暗記するほど読んだお気に入りの詩です。

「飲酒 其五」陶淵明



結廬在人境
而無車馬喧
問君何能爾
心遠地自偏
採菊東籬下
悠然見南山
山気日夕佳
飛鳥相与還
此中有真意
欲弁已忘言

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
全十二首のうちの其の五。

「飲酒 其七」陶淵明



秋菊有佳色
裛露掇其英
汎此忘憂物
遠我遺世情
一觴雖独進
杯尽壷自傾
日入群動息
帰鳥趨林鳴
嘯傲東軒下
聊復得此生

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
全十二首のうちの其の七。

「雑詩 其一」陶淵明



人生無根蔕
飄如陌上塵
分散逐風転
此已非常身
落地為兄弟
何必骨肉親
得歓当作楽
斗酒聚比隣
盛年不重来
一日難再晨
及時当勉励
歳月不待人

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
全十二首の其の一。
なんとなく、漢代の詩「古詩十九首」の「生年不満百」の、「楽しみを為すは当に時に及ぶべし」のフレーズを思い出します。
ラストの、
 盛年重ねて来らず
 一日再び晨なり難し
 時に及んで当に勉励すべし
 歳月人を待たず
………この部分だけ見ると、「勉強すべし」というフレーズのようですが、全体を通してみると、「一生懸命楽しむべし」という解釈もできる詩のようです。
「斗酒」は、「一斗の酒」という意味と、「たくさんの酒」という意味と、二つあるようです。ここでは、景気よく、たくさんのお酒という解釈にしてみました。

「生年不満百」無名氏



生年不満百
常懐千歳憂
昼短苦夜長
何不秉燭遊
為楽当及時
何能待来茲
愚者愛惜費
但為後世嗤
仙人王子喬
難可与等期

漢代の詩、「古詩十九首」の第十五首。
王子喬(おうしきょう)は、仙人で、周の霊王の太子晋(しん)のこと。

「去者日以疎」無名氏



去者日以疎
来者日以親
出郭門直視
但見丘与墳
古墓犂為田
松柏摧為薪
白楊多悲風
蕭蕭愁殺人
思還故里閭
欲帰道無因

漢代の詩、「古詩十九首」の第十四首。
「去る者は日に以って疎し」…。
帰郷を願う旅人。

「迢迢牽牛星」無名氏



迢迢牽牛星
皎皎河漢女
繊繊擢素手
札札弄機杼
終日不成章
泣涕零如雨
河漢清且浅
相去復幾許
盈盈一水間
眽眽不得語

漢代の詩、「古詩十九首」の第十首。
七夕の織女と牽牛を歌う。
参考にいたしました朝日文庫の『中国名詩集』松浦友久著によりますと、どうやら、中国最古の詩歌全集『詩経』の小雅の「大東」に、すでに織女と牽牛が歌われているそうです。
その後、時代がくだって、「カササギが川に橋をかけて二人をあわせてくれる」という七夕伝説をあらわす内容のものとなると、梁の庾肩吾(ゆけんご)(?ー550?)の「七夕詩」があるそうです。どうやら、最初の頃の伝説では、二人は出会えなかったもよう…。カササギさまさまでしょうか…。

「可惜」杜甫

 

花飛有底急
老去願春遅
可惜歓娯地
都非少壮時
寛心応是酒
遣興莫過詩
此意陶潜解
吾生後汝期

杜甫(とほ)(712−770)作。
にぎやかな春と、老いたる身の愁い…。

 心を寛(ゆる)くするは応(まさ)に是れ酒なるべく
 興(きょう)を遣(や)るは詩に過ぐるは莫(な)し

……このフレーズ、いいなあ…。
陶潜(とうせん)は、東晋の詩人、陶淵明(とうえんめい)(365−427)。お酒の詩で有名です。時代がいっしょだったら、杜甫と二人で、心くつろぐお酒と詩を楽しんだかも…?

「四時歌」陶淵明



春水満四沢
夏雲多奇峰
秋月揚明暉
冬嶺秀孤松

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作(?)。
「四時の歌(しいじのうた)」。陶淵明作かというと、確実にそうだとは言えないようで、東晋の顧愷之(こがいし)の作という説もあります。
春夏秋冬の名シーンを詩にしたもの。なんとなく清少納言の「枕草子」を思い出します。

「七夕」李賀

 

別浦今朝暗
羅帷午夜愁
鵲辞穿線月
花入曝衣楼
天上分金鏡
人間望玉鉤
銭塘蘇小小
更値一年秋

李賀(りが)(791−817)作。
七夕を幻想的に歌う。
これは、かなり解説がいりそうです…。以下、岩波書店の中国詩人選集『李賀』を参考にしながら、私見もまじえて、書いてみます。
1コマ目:天の川が暗い…は、牽牛・織姫を隔てる川が薄くなり、二人が出会っている。一方の、薄絹のカーテン…は、ベッドのカーテンで、同じ頃の、どこかの誰かの一人寝の寂しさ…?
2コマ目:穿線月…は、七夕の夜に、月光の下、五色の糸を針に通せたら女性は裁縫がうまくなるという風習があったとのこと。その女たちを照らす月。またカササギは、天の川に橋をかけて織姫と牽牛を会わせる鳥のようです。曝衣楼…は、これまた七夕には、書物や衣類の虫干しの習慣があった、とのこと。それが高楼で行われているので、おそらく綺麗な着物が並んでいる光景。
3コマ目:天上で割れた金の鏡が、下界では、鉤の形をした玉のような月になる…。ここのくだりが素敵です。旧暦の七夕では、月は必ず半月、上弦の月になるそうです。
4コマ目:蘇小小は、5世紀末の有名な妓女。死後も亡霊になり、ずっと恋人を待ち続ける…。一年に一度会える織姫たちとは違って、いつまでたっても恋人に会えません…。ちなみに、旧暦では、7〜9月が秋とのこと。

「餺飥謡」龔自珍





父老一青銭
餺飥如月円
児童両青銭
餺飥大如銭
盤中餺飥貴一銭
天上明月痩一辺
噫市中之餕兮天上月
吾能料汝二物之盈虚兮
二物照我為過客
月語餺飥
円者当欠
餺飥語月
循環無極
大如銭
当復如月円
呼児語若
後五百歳俾飽而元孫

龔自珍(きょうじちん)(1792−1841)作。
月とパンの満ち欠けをユーモラスに歌う。
龔自珍の父や祖父の世代は、大清帝国の全盛期、かの乾隆帝の時代。もしかしたら、「乾隆帝さまのころにはのう、パンがこんなに大きかったんじゃ」という昔話があったのかもしれませんね。

「貴公子夜闌曲」李賀



裊裊沈水煙
烏啼夜闌景
曲沼芙蓉波
腰囲白玉冷

李賀(りが)(791−817)作。

「南山田中行」 李賀



秋野明
秋風白
塘水漻漻虫嘖嘖
雲根苔蘚山上石
冷紅泣露嬌啼色
荒畦九月稲叉牙
蟄螢低飛隴逕斜
石脈水流泉滴沙
鬼灯如漆照松花

李賀(りが)作。
秋の風景。岩波の詩人選集『李賀』によりますと、松花は、松の花ですが、季節が秋なので、松かさかもしれない、とのことなので、松かさを描きました。
あと、秋に咲く赤い花が思い浮かばなかったので、あくまでもイメージで架空の花を描いてます。

「長干行」崔顥



君家住何処
妾住在横塘
停船暫借問
或恐是同郷

(さいこう)(704−754)作。
四首連作の第一首。遊女がお客を誘う言葉を詩にしています。

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