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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

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「感諷 五首 其三」李賀

 

南山何其悲
鬼雨灑空草
長安夜半秋
風前幾人老
低迷黄昏径
裊裊青櫟道
月午樹立影
一山唯白曉
漆炬迎新人
幽壙螢擾擾

李賀(りが)作。五首連作の其の三。
他の詩は社会風刺の詩だそうですが、こちらは李賀節炸裂の亡霊風味。
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「大堤曲」李賀



妾家住横塘
紅紗満桂香
青雲教綰頭上髻
明月与作耳辺璫
蓮風起
江畔春
大堤上
留北人
郎食鯉魚尾
妾食猩猩脣
莫指襄陽道
緑浦帰帆少
今日菖蒲花
明朝楓樹老

李賀(りが))(790−816)作。
襄陽の東南にあった色街・大堤にて、襄陽から来たお客を引き止める妓女。
李賀の時代の前から作品が作られてきた題材らしいです。
「石菖」は漢名で菖蒲…と、広辞苑に書いてあったので、ラストは「石菖」を描きましたが、ううむ…地味な花だな……。これであってるんでしょうか…。

「夢天」李賀



老兎寒蟾泣天色
雲楼半開壁斜白
玉輪軋露湿団光
鸞珮相逢桂香陌
黄塵清水三山下
更変千年如走馬
遥望斉州九点煙
一泓海水杯中瀉

李賀(りが)(790−816)作。
天の世界を夢見る、幻想的な作品。
前半が月世界の描写、後半が天から見た地上の描写。
これまた色々と解釈が分かれるようで、「老兎寒蟾泣天色」は、はっきりと意味がわかりません…。
「鸞珮相逢桂香陌」は、鸞鳳という空想上の鳥をかたどった装飾を身につけた仙女であるらしく、彼女の会う相手は一体誰なのか…というのも解釈が分かれるようです。ここでは仙女たちとしてますが、男性でもいいかもしれません。
「桂」は、中国では「木犀」を指すそうです。手持ちの漢字字典(『角川 新字源』)では「肉桂」と書いてあったんですが、どうなんでしょう…。

「雨中即事」袁枚



驚風萍葉開
帯雨池声大
青蛙抱仏心
踏上蓮花坐

清の袁枚(えんばい)(1716−1797)作。
雨の日の風景。
本当は、白黒の美しい水墨画風の絵を添えたら似合いそうな詩です。
1コマ目は、強い風に吹かれて分かれる浮き草。細かい所を目で観察しています。
2コマ目は、池の音を描写。
3、4コマ目で、ユーモアとともに、カエルと蓮の花が描かれます。

【補足】
ミクシィでの「漢詩・漢文・漢籍」コミュにて、叔夜さまより、参考になるご意見をいただきました。
あわせて紹介させていただきます。
■第一句「驚風」は、第二句と対句になっていると見て、「風に驚きて」。「開」は池に密集して浮いていた浮き草が、風に驚いて逃げ惑うかのように散り散りになる様ではないか…とのこと。
■第四句の「坐」は動詞ではなく名詞で、「座(座席)」の意味で、書き下しは「踏上す 蓮花の坐」。

「離思」元稹



曾経滄海難為水
除却巫山不是雲
取次花叢懶回顧
半縁修道半縁君

元稹(げんしん)(779−831)作。
亡き妻・韋氏(名前は叢)を想う詩。
最初の二句が有名で、滄海を知れば他のものは海じゃない、巫山の雲を知れば他のものは雲じゃない(すなわち、妻を知れば他の女は女じゃない)、と歌います。
「聊斎志異」や、藤田あつ子の清朝推理漫画「煌如星シリーズ」などで引用されていたので、前半部は知っていたのですが、後半部は知らなくて…。
中国土産で頂いた中国語の漢詩の本に載っていたので、たぶん有名な詩だと思うのですが、日本語の参考図書が手元になかったので、ミクシィの漢詩・漢文・漢籍コミュにて、解釈のアドバイスを頂きました。
名前の部分には、ウィキペディアのページのリンクがついていますが、ウィキペディアの記述がホントなら、李賀が進士になれなかったのは、元稹の仕返しのせいなんですか…。李賀ファンなので複雑ですね…。

「西郊落花歌」龔自珍






西郊落花天下奇
古来但賦傷春詩
西郊車馬一朝尽
定盦先生沽酒来賞之
先生探春人不覚
先生送春人又嗤
呼朋亦得三四子
出城失色神皆痴
如銭唐潮夜澎湃
如昆易戦晨披靡
如八万四千天女洗瞼羆
斉向此地傾臙脂
奇龍怪鳳愛漂泊
琴高鯉何反欲上天為
玉皇宮中空若洗
三十六界無一青蛾眉
又如先生平生之優患
恍惚怪誕百出難窮期
先生読書尽三藏
最喜維摩巻裏多清詞
又聞浄土落花深四寸
冥目観想尤神馳
西方浄国未可到
下筆綺語何漓漓
安得樹有不尽之花更雨新好者
三百六十五日長是落花時

龔自珍(きょうじちん)(1792−1841)作。
北京の城門を出た西の郊外にある、海棠の木、8、90本。花見客が来なくなった落花の時期に、友人や弟と連れ立ってやってきて酒を飲み、この詩を作った……との作者の前書きがそえられています。
海棠の落花のすばらしさを、幻想的に描く。

「己亥雑詩 其百七十」龔自珍

 

少年哀楽過于人
歌泣無端字字真
既壮周旋雑痴黠
童心来復夢中身

清の龔自珍(きょうじちん)の代表作、「己亥雑詩」三百十五首のうち、其百七十。

「雑詩己卯自春徂夏在京師作得十有四首 其十二」龔自珍



楼閣参差未上燈
菰芦深処有人行
憑君且莫登高望
忽忽中原暮靄生

龔自珍(きょうじちん)(1792−1841)作。
夕もや立ち込める風景を、清王朝の衰退にたとえる…。
華やかなる乾隆帝の御世が過ぎ、かげりが見え始めた時代の空気を、早くも感じ取っていた、龔自珍らしい作品のひとつ。
陶然亭の壁に題す(陶然亭の壁に書く)、という文が添えてあります。
詩の舞台になった建物、陶然亭は北京にあり、現在もその一帯が陶然亭公園として有名なのだそうです。

「美人」龔自珍



美人清妙遺九州
独居雲外之高楼
春来不学空房怨
但折梨花照暮愁

清の龔自珍(きょうじちん)(1792−1841)作。
地上世界で忘れられ、雲の上に独り住む美人…。
「美人」は、すぐれた男性を指す場合も多いようで、この詩も龔自珍自身の不遇と、胸の内の想いを詩に託しているという説もあるのですが、さすがに3・4コマ目を男性の姿では描けないので、暗喩として女性の姿で描きました。
九州は、中国の地を指す言葉です。

「短歌行」(一部)曹操



対酒当歌
人生幾何
譬如朝露
去日苦多
慨当以慷
幽思難忘
何以解憂
唯有杜康

三国時代、魏の曹操(そうそう)(155−220)作。
長い詩の最初の部分です。この後、すぐれた人材を集めたいものだ、という、想いが歌われます。
曹操は、三国志の物語でおなじみの、魏の英雄。『三国志演義』の中で、この詩は、かの赤壁の戦い(208年)のシーンで登場します。絵も、三国志のシーンに合わせて描いてみました。

中島敦「山月記」の漢詩



偶因狂疾成殊類
災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵
当時声跡共相高
我為異物蓬茅下
君已乗軺気勢豪
此夕渓山対明月
不成長嘯但成嘷

中島敦「山月記」に出てくる漢詩。
唐の時代の中国。虎となってしまった詩人・李徴(りちょう)が、かつての友人と再会。己の身の上を語る…。
自分は天才だという自負が強すぎるために、周りの凡人たちと切磋琢磨できず、また、自分は本当は天才ではないのではと内心恐れるがゆえに、必死の努力もできず…。
プライドの高さが足かせとなって、大成できなかった天才詩人…。
高校時代、教科書で習って、授業中に萌えましたよ…。
自分は他のやつらと違い、将来、大詩人になる才能を持つ「天才」であるはずだ。なので、周囲にも尊大に振舞っている。だが、もしも必死に努力して、苦労の末に開花した才能が平凡なものだったら…?努力は無駄になる上に、「凡人」であることを周囲に暴露してしまう。それは、彼にとって恥なのです。
自分の中の才能や可能性の限界がまだわからなくて、自分は将来大物になるんだという根拠のないプライドと、そうではないかもという不安がある若い世代は、李徴の苦悩に、共感できるかもしれません。
李徴には自嘲癖があるのですが、「自嘲は、人に笑われる前に自分で笑うという、プライドの高さゆえだ」と、明るい性格に見えた国語の先生が言っていたのが、忘れられない…。
元々は、「人虎伝」という中国のお話で、この詩も「人虎伝」に登場するそうです。
岩波文庫の『唐宋伝奇集』の下巻にも、「李徴」というタイトルで同じお話が載っています。ただし、そちらには作中に漢詩が登場しないんですが…。

※ちくま文庫の『中島敦全集1』、及び『ちくま日本文学全集 中島敦』を参考にしました。

「題烏江亭」杜牧



勝敗兵家事不期
包羞忍恥是男児
江東子弟多才俊
捲土重来未可知

杜牧(とぼく)(803−853)作。
「烏江亭に題す(うこうていに だいす)」。
漢の劉邦と戦った項羽…。垓下(がいか)の地で大敗をした後、長江のほとりの烏江にたどりつき、「川を渡って、根拠地の江東で王になっては」という勧めを断り、壮絶なる死を迎えます…。
もし、あの時、項羽が川を渡っていれば!!という、もしもの詩です。
ちなみに、捲土重来という言葉の出典だそうです。

そして、この詩にツッコミをいれたのが…。
北宋の王安石「烏江亭」。



唐の杜牧と北宋の王安石…、時代を超えた論戦が楽しいですねー。

※『中国名詩集』(松浦友久著・朝日文庫)を、大いに参考にしました。

(2009年12月3日、画像を手直しして差し替えました)

「示弟」李賀



別弟三年後
還家十日余
醁醽今日酒
緗帙去時書
病骨独能在
人間底事無
何須問牛馬
抛擲任梟盧

李賀(791−817)作。
三年前に都に上京し、挫折して帰郷した時の作。

「蘇小小歌」李賀



幽蘭露
如啼眼
無物結同心
煙花不堪翦
草如茵
松如蓋
風為裳
水為珮
油壁車
久相待
冷翠燭
労光彩
西陵下
風雨晦

李賀(791−817)作。
鬼才の代表作。死後も恋人を待ち続ける歌妓・蘇小小…。「蘇小小墓」というタイトルのテキストもあります。
こちらは、解釈・絵とも悩みましたので、いつかまた、描き直すかもしれません。
ウィキペディアにもこちらの作品が載ってますので、ご参考までに…(「李賀」の文字にリンクをつけてます)。

「贈陳商」(一部)李賀



長安有男児
二十心已朽
楞伽堆案前
楚辞繋肘後
人生有窮拙
日暮聊飲酒
祇今道已塞  
何必須白首

李賀(791−817)作。
長い詩の冒頭部分です。「長安に男児有り、二十にして心已に朽ちたり」というのは、夭折した不遇の天才詩人である李賀を語るのによく引用されるフレーズです。

「示内」沈受宏



莫歎貧家卒歳難
北風曾過幾番寒
明年桃柳堂前樹
還汝春光満眼看

清の沈受宏(しんじゅこう)作。康熙帝(在位1661年-1722年)のころに活躍した詩人。
旅先から、離れて独りで冬を過ごす、愛する妻に詩を贈る…。冬と春の対比が美しい作品。
……ちょっとラブラブに絵を描いてみました。
※『漢詩を読む 冬の詩100選』(石川忠久著、NHK出版)を、大いに参考に致しました。

「銷夏詩」袁枚



不著衣冠近半年
水雲深処抱花眠
平生自想無官楽
第一驕人六月天

清の袁枚(えんばい)(1716−1797)作。
若くして科挙に合格して高級官吏になり、40歳で役人をやめて、悠々と引退生活…。女弟子に囲まれて暮らしたそうです。
「花を抱いて眠る」、の「花」は、女性のことを指すとの話がありますが、絵で書くときは、暗喩は暗喩のまま、イメージで描きました。

「書懐」袁枚



我不楽此生
忽然生在世
我方欲此生
忽然死又至
已死与未生
此味原無二
終嫌天地間
多此一番事

清の袁枚(えんばい)(1716−1797)作。
飄々と、生死について詠う。
なんとなく、王梵志を思い出したりして…。
※『中国名詩集』(松浦友久著・朝日文庫)を、大いに参考にしました。

「楽遊原」李商隠



向晩意不適
駆車登古原
夕陽無限好
只是近黄昏

李商隠(りしょういん)(812?−858)作。
夕陽の美しさは、黄昏が近い美しさ。
楽遊原は、長安の東南の郊外にあった行楽地。

「竹里館」王維



独坐幽篁裏
弾琴復長嘯
深林人不知
明月来相照

王維(おうい)(701−761)作。
「竹里館(ちくりかん)」。世俗を離れた静寂の世界。

「雑詩」王維



君自故郷来
応知故郷事
来日綺窓前
寒梅着花未

王維(おうい)(701−761)作。
「雑詩(ざつし)」、三首の内の第二首。梅花のことを聞きながら、故郷に残してきた妻の様子をたずねる。

「秋思」張籍



洛陽城裏見秋風
欲作家書意万重
復恐怱怱説不尽
行人臨発又開封

張籍(ちょうせき)(768?−830?)作。

「秋日」耿湋



返照入閭巷
憂来誰共語
古道少人行
秋風動禾黍

耿湋(こうい)(734−?)作。

「江楼旧感」趙嘏



独上江楼思渺然
月光如水水如天
同来望月人何処
風景依稀似去年

趙嘏(ちょうか)(815?−?)作。
「江楼書感」となっていて、「月光如水水連天 同来翫月人何処」となっているテキストもあるそうです。
風景は変わらないのに、それを見る人は変わる…という詩はいくつか紹介していますが、これもまたせつないですね…。

「贈別 其二」杜牧



多情却似総無情
唯覚前笑不成
蝋燭有心還惜別
替人垂涙到天明

杜牧(とぼく)(803−853)作。
二首連作の、第二首。
其一は、花のつぼみのような13、14歳の妓女(若いですね…)の美しさをたたえ、揚州のどの妓楼にも君ほどの美女はいないよ、と歌っています。
つづく其二は、年若い愛妓との別れの酒席。
二人とも、大きな哀しみのために、心がまひしてしまったのか、かえって泣けず、笑えない。蝋燭が変わって涙を流してくれる。

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