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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

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「登高」杜甫



風急天高猿嘯哀
渚清沙白鳥飛廻
無邊落木蕭蕭下
不尽長江滾滾来
万里悲秋常作客
百年多病独登台
艱難苦恨繁霜鬢
潦倒新停濁酒杯

杜甫(とほ)(712−770)作。
「登高」は、陰暦九月九日の重陽の節句に、高いところに登って、頭にはじかみの実をさして、菊の花びらを浮かべたお酒を飲む風習です。
王維も「九月九日憶山東兄弟」の詩で歌っていましたが、家族や友達などと、わいわいと楽しむ節句を、独りで過ごすというのは、なんとも寂しさが増しますね…。
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「曲江」杜甫



一片花飛減却春
風飄万点正愁人
且看欲尽花経眼
莫厭傷多酒入脣
江上小堂巣翡翠
苑辺高塚臥麒麟
細推物理須行楽
何用浮名絆此身

杜甫(とほ)の、有名な詩のひとつ。
花とお酒を歌いますが、戦乱の影と愁いが…。
出だしは、文句なしの名フレーズ。

 一片花飛んで春を減却す
 風は万点を飄えして正に人を愁えしむ

ちなみにこの詩は、二首連作の第一首です。
第二首も有名で、こちらのフレーズとか特に好きです。

 酒債尋常行処有
 人生七十古来稀

 酒債 尋常 行く処に有り
 人生 七十 古来稀なり

酒代の借金は当たり前の事で行く所にあって良いが、人生で七十歳まで生きるのは昔からまれなこと。
七十歳を「古稀」というのの元ネタのようです。

「貧交行」杜甫



翻手作雲覆手雨
紛紛軽薄何須数
君不見管鮑貧時交
此道今人棄如土

杜甫(とほ)作。
管仲と鮑叔は、春秋時代の人で、無二の親友同士。彼らのような付き合いを指して、「管鮑の交わり」という言葉もあります。

「秋夜寄丘二十二員外」韋応物



懷君属秋夜
散歩詠涼天
山空松子落
幽人応未眠

韋応物(いおうぶつ)(737−804?)作。
秋の夜、臨平山に隠棲している友・丘丹を思う。

「江漢」杜甫



江漢思帰客
乾坤一腐儒
片雲天共遠
永夜月同孤
落日心猶壮
秋風病欲蘇
古来存老馬
不必取長途

杜甫(とほ)(712−770)作。
何となく、前向きな詩です。
4コマ目の老馬のくだりは、老馬は自分の故郷への道をよく知っている、というお話によります。

「黄鶴楼送孟浩然之広陵」李白



故人西辞黄鶴楼
煙花三月下楊州
孤帆遠影碧空尽
惟見長江天際流

李白の、孟浩然(もうこうねん)(春眠暁を覚えず…の詩人です)を見送る詩。
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る、というタイトルです。
「故人」というのは、現代とは意味が違っていて、古くからの友人という意味です。

「月下独酌」李白



花間一壷酒
独酌無相親
挙杯邀明月
対影成三人
月既不解飲
影徒随我身
暫伴月将影
行楽須及春
我歌月徘徊
我舞影凌乱
醒時同交歓
酔後各分散
永結無情遊
相期邈雲漢

李白らしい名詩。月と影といっしょに、春を愛でつつ酒を飲む…。
連作四首の、第一首だそうです。

「子夜呉歌」李白



長安一片月
万戸擣衣声
秋風吹不尽
総是玉関情
何日平胡虜
良人罷遠征

李白(りはく)(701−762)作。
遠い戦場の夫を想う妻。
冬の服を仕立てるため、石や木の台の上で、生地をたたいて、やわらかくする…というのは、当時の秋の風景だったそうです。

「玉階怨」李白



玉階生白露
夜久侵羅襪
却下水精簾
玲瓏望秋月

李白(りはく)(701−762)作。
皇帝の寵愛を得られない宮女をうたう。

「春夜喜雨」杜甫



好雨知時節
当春乃発生
随風潜入夜
潤物細無声
野径雲倶黒
江船火独明
暁看紅湿処
花重錦官城

杜甫(とほ)(712−770)作。
春の夜の雨をうたう。

「登岳陽楼」杜甫



昔聞洞庭水
今上岳陽楼
呉楚東南坼
乾坤日夜浮
親朋無一字
老病有孤舟
戎馬関山北
憑軒悌泗流

杜甫(とほ)(712−770)作。
内乱で故郷を離れて転々として、名高い洞庭湖を眺める…。
768年作ですから、杜甫が、都へは帰れず、船の中で亡くなる2年前の作ですね。

「復愁」杜甫



万国尚戎馬
故園今若何
昔帰相識少
早已戦場多

杜甫(とほ)(712−770)作。
十二首のうちの、其三。

「春日憶李白」杜甫



白也詩無敵
飄然思不群
清新庾開府
俊逸鮑参軍
渭北春天樹
江東日暮雲
何時一樽酒
重与細論文

杜甫の、李白を想う詩。
漢詩の二大詩人が友人関係にあった…というのは何となく嬉しいですね。
庾信と鮑照は、南北朝時代の詩人です。

「長楽少年行」崔国輔



遺却珊瑚鞭
白馬驕不行
章台折楊柳
春日路傍情 

崔国輔(さいこくほ)(687?−755?)作。
富裕階級の若者の、路上の恋。

「折楊柳」楊巨源



水辺楊柳麹塵糸
立馬煩君折一枝
惟有春風最相惜
殷勤更向手中吹

楊巨源(ようきょげん)(770?−?)作。
「折楊柳」は、楽府題で、別れの曲の定番。
別れの時、旅の無事を祈り、柳の枝を輪に結んで贈る習慣があったそうです。

「人日思帰」薛道衡



入春纔七日    
離家已二年
人帰落雁後  
思発在花前

薛道衡(せつどうこう)(540−609)。
隋を代表する詩人。かの隋の煬帝に、名声をねたまれて殺されたそうです。
「人日」とは、正月七日のこと。
人日に、北の故郷を思って。

「遊子吟」孟郊



慈母手中線
遊子身上衣
臨行密密縫
意恐遅遅帰
誰言寸草心
報得三春暉

孟郊(もうこう)(751−814)作。
旅立つわが子の衣服を縫う、慈愛深い母の心を歌う。

「除夜作」高適



旅館寒灯独不眠
客心何事転凄然
故郷今夜思千里
霜鬢明朝又一年

高適(こうせき)(702?−765)作。
大晦日に、一人寂しく旅館で過ごす。

「照鏡見白髪」張九齢



宿昔青雲志
蹉跎白髪年
誰知明鏡裏
形影自相憐

張九齢(ちょうきゅうれい)(673−740)作。
鏡に照らして白髪を見る、の詩。

「易水送別」駱賓王



此地別燕丹
壮士髮衝冠
昔時人已没
今日水猶寒

駱賓王(らくひんのう)(640?−684)作。
戦国時代の末、秦王政(後の始皇帝)を暗殺すべく、燕の太子丹に頼まれて、易水のほとりより旅立つ、荊軻(けいか)…。
旅立つときに荊軻が歌った、

風蕭蕭兮易水寒  風蕭蕭として易水寒し
壮士一去兮不復還 壮士一たび去って復た還らず

という歌が、ベースになっています。
映画「始皇帝暗殺」でも、おなじみでしょうか…。もっとも、私は観ていないのですが。
勝新太郎主演の「秦・始皇帝」なら、大昔に観ましたが、易水送別で、市川雷蔵の荊軻を、奥さん役の中村玉緒が見送っていたような…(記憶違いならすみませぬ)。

下のイラストは、風蕭蕭…を描いた、「御待堂」さまの作品です。

「歌」李延年



北方有佳人
絶世而独立
一顧傾人城
再顧傾人国

李延年(りえんねん)(漢の武帝の宮廷楽士)作。
妹の美しさを歌って、武帝にアピールしたもの。
傾国の美女、とは今も聞かれるフレーズですね…。
国を滅ぼすほどの美女と歌われた李夫人ですが、早くに亡くなったので、実際に国を傾けはしなかったそうです。

「苔」袁枚



白日不到処
青春恰自到
苔花如米小
也学牡丹開

袁枚(えんばい)(1716−1796)作。
清の黄金時代、乾隆帝の時代を生きた詩人。
こちらの詩は、日の当たらぬ所にやってくる春を歌います。

「垓下歌」項羽



力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮若奈何

項羽(こうう)(前232−202)作(と、言われています)。
秦が滅亡し、その後、漢の高祖・劉邦(りゅうほう)と覇権を争い、敗れた楚の武将。
垓下(がいか)の地で、劉邦の軍に囲まれ、四方から、故郷である楚の歌が聞こえてきて、「ああ、故郷も劉邦に下ってしまったのか…」と、覚悟を決めて、最後の別れの宴をするのです…(いわゆる「四面楚歌」)。
虞美人は、項羽の愛人です。
それにしても、項羽…。亡くなったとき、31歳だったんですね…。
まさか、いつの間にか、自分より年下になってるとは思いませんでしたよ…(苦笑)。

「江陵愁望有寄」魚玄機



楓葉千枝復万枝
江湖掩映暮帆遅
憶君心似西江水 
日夜東流無歇時

魚玄機(ぎょげんき)(843?−868?)作。
魚玄機は、唐代の女流詩人です。
こちらは、夫が帰るのを待つ女性の想いを歌った詩。

「重送裴郎中貶吉州」劉長卿



猿啼客散暮江頭
人自傷心水自流
同作逐臣君更遠
青山万里一孤舟

劉長卿(りゅうちょうけい)(709?−785?)作。
左遷された自分と友人、そして、友は自分よりも遠くの任地へ…。
「青山万里一孤舟」の名フレーズが心にしみます。

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