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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

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「渡桑乾」賈島



客舎并州已十霜
帰心日夜憶咸陽
無端更渡桑乾水
却望并州是故郷

賈島(かとう)(779−843)作。
「桑乾を渡る(そうかんをわたる)」。
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「企喩歌」無名氏



男児可憐虫
出門懷死憂
尸喪狹谷中
白骨無人收

南北朝時代の、北朝の歌謡。
死して屍拾うものなし、のフレーズと、似ていますね…。

「登鸛鵲楼」王之渙



白日依山尽
黄河入海流
欲窮千里目
更上一層楼

王之渙(おうしかん)(696−?)作。
鸛鵲楼(かんじゃくろう)は、現在の山西省永済(えいさい)県にあった高楼だそうです。
昔は高い建物が少なかったので、3階建てでも、上まで登ると、景色がだいぶ違って見えたんでしょうね…。

「赤壁」杜牧



折戟沈沙鉄未銷
自将磨洗認前朝
東風不与周郎便
銅雀春深鎖二喬

赤壁の戦い(208)は、呉と蜀が、魏の曹操の水軍を破った戦い。
三国志の最大の見せ場で、三国志ファンにはおなじみでしょうか。
もし、あの戦いで、曹操の船を火攻めにできなかったら…という、歴史の「もし」を描く詩ですが、そこに、呉の名花たる大喬・小喬の姉妹を登場させ、華を添えています。

「春夢」岑参



洞房昨夜春風起
遥憶美人湘江水
枕上片時春夢中
行尽江南数千里

岑参(しんじん)(715−770)作。
はるか江南地方にいる友を夢見る歌。「美人」は、色々解釈があるようですが、ここでは親友を指す、というのが一般的なようです。

「登幽州台歌」陳子昂



前不見古人
後不見来者
念天地之悠悠
独愴然而涕下

陳子昂(ちんすごう)(661−702)作。
幽州台は、今の北京の北にあった薊北楼(けいほくろう)という楼台だそうです。
教科書で習った詩ですが…。天地は悠久なのに、自分は、昔の人にも、未来の人にも、会うことはできない…という想いは、今の時代も変わらないですね…。

「江南春」杜牧



千里鶯啼緑映紅
水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺
多少楼台煙雨中

杜牧(803−852)の、江南地方の春を歌った名詩。
この詩…スケールが大きくて、天の上から見下ろして、しかもあちこちの風景を見ていますね…。
絵の中に納まりきれないですね…(苦笑)。
中国で一般的にウグイスというと、どういう鳥なんでしょう…?
絵では、コウライウグイスの絵を描いてますが、日本の一般的なウグイスと全然違って、はるかに黄色い…。

「送杜少府之任蜀川」王勃



城闕輔三秦
風煙望五津
与君離別意
同是宦遊人
海内存知己
天涯若比隣
無為在岐路
児女共霑巾

王勃(650−676)の送別の詩。
杜少府という人が、今の四川省に赴任する際の詩です。
この詩のハイライトは、やはり、「海内存知己 天涯若比隣」の名文句です。

「賦憂患」龔自珍



故物人寰少
猶蒙憂患倶
春深恒作伴
宵梦亦先駆
不逐年華改
難同逝水徂
多情誰似汝
未忍托禳巫

つきまとって離れぬ憂愁をユーモラスに歌った詩。
とはいえ、龔自珍、感受性の異常に鋭い人だったそうなので、実際のところは、本人は深刻なはずです…。

サイトについて

サイト名:「漢詩四コマ劇場」
ふりがな:(かんしよんこまげきじょう)

teacup.ブログにて開始:2008年5月12日
忍者ブログへ移転:2021年3月5日

旧ブログ(2022年8月1日にteacup.ブログが終了):
https://black.ap.teacup.com/nosukuk/

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。
漢詩についている白文は、旧体字ではなく、なるべく新体字を使っています。

サイト内の記事は、どのページもリンクフリーです。

《主な参考文献》〜どれもオススメの漢詩本です

『中国名詩選』(松枝茂夫、岩波文庫、1986)
『中国名詩集』(松浦友久、朝日文庫、1992)
『中国詩人選集』各巻(岩波書店)
『NHK漢詩紀行』(石川忠久、日本放送出版協会、1991)
『漢詩を読む 春(夏・秋・冬)の詩100選』(石川忠久、日本放送出版協会、1996)
『中国の四季 漢詩歳時記』(野口一雄、講談社選書メチエ、1995)
『唐詩選』(前野直彬、岩波文庫、1963)
『李賀詩選』(黒川洋一、岩波文庫、1993)
『杜牧詩選』(松浦友久・植木久行、岩波文庫、2004)
『陶淵明全集』(松枝茂夫・和田武司、岩波文庫、1990)
『蘇東坡詩選』(小川環樹・山本和義、岩波文庫、1975)
『関西弁で愉しむ漢詩』(桃白歩実、子どもの未来社、2005)

◆◆◆◆◆◆◆◆




「将進酒」李賀



瑠璃鍾
琥珀濃
小槽酒滴真珠紅
烹龍炮鳳玉脂泣
羅屏繍幕囲香風
吹竜笛
撃鼉鼓
皓歯歌
細腰舞
況是青春日将暮
桃花乱落如紅雨
勧君終日酩酊酔
酒不到劉伶墳上土

野外で開催された宴をうたった、幻想的な詩。
「桃花乱落如紅雨(桃花 乱れ落つること紅雨の如し)」は、名フレーズです…。

「出城寄権璩楊敬之」李賀



草暖雲昏万里春
宮花払面送行人
自言漢剣当飛去
何事還車載病身

都で立身出世をしようとしたが理不尽な理由で科挙に合格できずに挫折し、郷里に帰る李賀……。
漢剣…のくだりは、晋のころ、漢の高祖の名剣が入っていた武器庫が火事になったとき、剣が屋根を破って飛び去った、というエピソードを下敷きに、剣を都で立身出世する己にたとえています。

「莫種樹」李賀

 

園中莫種樹
種樹四時愁
独睡南牀月
今秋似去秋

「秋風引」劉禹錫



何処秋風至
蕭蕭送雁群
朝来入庭樹
孤客最先聞

中唐の劉禹錫(772−842)の作品。
秋風の音を真っ先に聞きつけたのは、自分が心に寂しさを抱える孤独な旅人「孤客」だからこそ。

「雁門太守行」李賀



黒雲圧城城欲摧
甲光向月金鱗開
角声満天秋色裏
塞上臙脂凝夜紫
半巻紅旗臨易水
霜重鼓寒声不起
報君黄金台上意
提携玉龍為君死

「題帰夢」李賀

 

長安風雨夜
書客夢昌谷
怡怡中堂笑
小弟裁澗菉
家門厚重意
望我飽飢腹
労労一寸心
灯花照魚目

「秋来」李賀



桐風驚心壮士苦
衰灯絡緯啼寒素
誰看青簡一編書
不遣花蟲粉空蠹
思牽今夜腸応直
雨冷香魂弔書客
秋墳鬼唱鮑家詩
恨血千年土中碧

夭折した不遇の鬼才・李賀(791−817)の名詩。
「恨血千年土中碧」は、千年の時を経た今でも、鬼気迫るすさまじい表現です。
21世紀まで詩が残っていると、李賀に誰か伝えてほしい。

「新花」王安石



老年少忻予
況復病在牀
汲水置新花
取慰此流芳
流芳祗須臾
我亦豈久長
新花与故吾
已矣両可忘

北宋の王安石(おうあんせき)(1021−1086)作。

「送別」王維



下馬飲君酒
問君何所之
君言不得意
帰臥南山睡
但去莫復問
白雲無尽時

王維(おうい)(701−761)作。
隠居生活に入る友人との別れ。

「鹿柴」王維



空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上

「鹿柴(ろくさい)」。タイトルの鹿柴とは、鹿を飼う柵のことだそうです。
夕陽の光と、青苔の、短い間だけの、幻想的な出会い…。
正直言いまして、詩のイメージがあまりに美しすぎて、絵で描くのにためらっていた詩です。

「堕一歯戯作」龔自珍



与我相依卅五年
論文説法頼卿宣
感卿報我無常信
瘞向垂垂花樹辺

清の龔自珍(きょうじちん)(1792−1841)作。
抜けた歯を、ユーモラスにうたう。

「己亥雑詩 其百二十五」龔自珍



九州生気恃風雷
万馬斉瘖究可哀
我薦天公重抖擻
不拘一格降人材

龔自珍(きょうじちん)の代表作、「己亥雑詩」三百十五首のうち、名高い其百二十五。1839年、すなわちアヘン戦争の前年の作。
この詩は、道教の玉皇と風神・雷神を祭っている所で、道士に祝詞を作るよう頼まれた、との文がついています。
祖国の危機に対する、祈りが感じられます…。
かの毛沢東が、この詩を読んで、感動したという話も残ります。

「雑詩己卯自春徂夏在京師作得十有四首 其三」龔自珍



情多処処在悲歓
何必滄桑始浩歎
昨過城西曬書地
蠹魚無数訊平安

清の龔自珍(きょうじちん)(1792-1841)作。

「意有所得雑書数絶句」袁枚



莫説光陰去不還
少年情景在詩篇
燈痕酒影春宵夢
一度謳吟一宛然

清の袁枚(えんばい)(1716−1796)作。

「答人」太上隠者



偶来松樹下
高枕石頭眠
山中無暦日
寒尽不知年

「唐詩選」に載っています。山で隠者が人に尋ねられて、この詩を言い残して去っていった…というエピソードつき。
石頭に眠る…というのは、絵では石の上に寝てますが、よく聞くように、石を枕代わりに、地面に眠っているのかもしれません(後で描き直すかも)。

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