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漢詩四コマ劇場

漢詩(中国古典詩)を四コマ漫画で描いた作品を、200本以上掲載しています。

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「憫農」李紳



鋤禾日当午
汗滴禾下土
誰知盤中餐
粒粒皆辛苦

李紳(りしん)(?−846)作。
「粒粒辛苦」の出典として有名な詩。
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「望郷詩」朝衡(阿倍仲麻呂)



翹首望東天
神馳奈良辺
三笠山頂上
想又皓月円

遣唐使として唐に行った、阿倍仲麻呂(698−770)の有名な和歌の、漢詩バージョン。
日本に帰る途中、船が難破して唐に戻り、そのまま唐で一生を過ごしたそうです。

(追記。2022年7月21日。Wikipediaの阿倍仲麻呂を見たところ、この漢詩は阿倍仲麻呂本人の作ではなく、1979年に西安に石碑が立つときに、翻訳されたものだったらしい)

「春思」賈至



紅粉当壚弱柳垂
金花臘酒解酴醿
笙歌日暮能留客
酔殺長安軽薄児

賈至(かし)(718−772)作。
二首連作の、第二首。長安の妓女のあでやかさ。

「別董大」高適



十里黄雲白日曛
北風吹雁雪紛紛
莫愁前路無知己
天下誰人不識君

高適(こうせき)(702?−765)作。
董大(とうだい)は、琴の名人として有名で、わけあって各地を放浪していた董庭蘭(とうていらん)ではないか…という説があるとのこと。
男気を感じる送別の詩です。

「閨怨」王昌齢



閨中少婦不知愁
春日凝粧上翠楼
忽見陌頭楊柳色
悔教夫壻覓封侯

王昌齢(おうしょうれい)(698−755?)作。
夫が出征中で、残された若い妻の愁いを描くのですが、この妻、勝気そうで、「愁いを知らない」…というフレーズから始まるのが、この詩の面白いところです。

「回郷偶書」賀知章



少小離家老大回
郷音無改鬢毛催
児童相見不相識
笑問客従何処来

賀知章(がちしょう)(659−744)作。
二首の一。年をとって、やっと故郷に戻ってきた。自分の中では、まだまだ、故郷の人間のつもりでいたけれども…。ちょっぴりせつないユーモアのある作品。

「涼州詞」王翰



葡萄美酒夜光杯
欲飮琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回

王翰(おうかん)(687−726)作。
故郷を離れて戦う兵士の宴を描く。

「九月九日憶山東兄弟」王維



独在異郷為異客
毎逢佳節倍思親
遙知兄弟登高処
遍挿茱萸少一人

王維(おうい)(701−761)作。
「九月九日山東の兄弟を憶う(くがつここのか さんとうのけいていをおもう)」。
17歳、故郷を離れ、科挙(役人の試験)を受けるために長安の都にいた時の作。

「春暁」孟浩然



春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少

孟浩然(もうこうねん)(689−740)作。
春の日の、朝の眠り。夜に風雨で散った花の紅…。

「送元二使安西」王維



渭城朝雨浥軽塵
客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人

王維(おうい)(701−761)作。
「元二の安西に使いするを送る(げんじのあんせいにつかいするをおくる)」。
酒と送別の名詩。
「君に勧む更に尽くせ一杯酒」は、名フレーズです。

「芙蓉楼送辛漸」王昌齢



寒雨連江夜入呉
平明送客楚山孤
洛陽親友如相問
一片冰心在玉壷

王昌齢(おうしょうれい)(698−755?)作。
「芙蓉楼(ふようろう)にて辛漸(しんぜん)を送る」。
華やかな洛陽に帰る友を送り出し、左遷された江南の地に残る作者。
「一片の冰心 玉壷に在り」は、せつなくも清らかで美しい、有名なフレーズです。
「寒雨連江夜入呉」は、夜になって呉の地にやってきたのは雨じゃなくて作者たち、という解釈もあるそうですが、作者が江寧(江蘇省南京市)の役人だったころの作としたら、はじめから呉の地にいるんじゃ…というのと、思う存分に送別の宴をしたあとで朝送り出した、というのがしっくりくるので、こちらかなあ…。いろいろと間違っていたらすみません…。

※『中国名詩集』(松浦友久著、朝日文庫、1992)を主に参考にしました。

「酔中作」張説



酔後方知楽
弥勝未酔時
動容皆是舞
出語総成詩

張説(ちょうえつ)(667−730)作。
酒の楽しみを歌う。

※『中国名詩選』(松枝茂夫編、岩波文庫)を大いに参考にしました。

「代悲白頭翁」(一部)劉希夷



………
今年花落顏色改
明年花開復誰在
………
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
………

初唐の劉希夷(りゅうきい)(651−679?)の長い詩の中に出てくる、有名なフレーズを抜粋しました。
ウィキペディアで全部が読めます。

「無題」王梵志



我昔未生時
冥冥無所知
天公強生我
生我復何為
無衣使我寒
無食使我饑
還你天公我
還我未生時

隋の僧、王梵志の無題詩。

「薤露」「蒿里」漢代の挽歌



「薤露」は、漢代、貴人の挽歌。

薤上露
何易晞
露晞明朝更復落
人死一去何時帰



「蒿里」は、漢代、士大夫・庶民の挽歌。

蒿里誰家地
聚斂魂魄無賢愚
鬼伯一何相催促
人命不得少踟躕

棺の載った車を、ひきながら歌われます。
なんとも暗い詩ではありますが、「いっそ不吉で縁起が良かろう」(by小野不由美『十二国記』)ということで…(苦笑)。
ちなみに、蒿里は、画像では冥土と意訳していますが、泰山の南にある山で、魂が集まるという山のことです。

「上邪」無名氏



上邪
我欲与君相知
長命無絶衰
山無陵
江水為竭
冬雷震震
夏雨雪
天地合
即敢与君絶

漢代の歌謡。恋人に永遠の愛を誓ったもの。

「桃夭」(一部)詩経・周南



桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宜其室家

桃之夭夭
有蕡其実
之子于帰
宜其家室

桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于帰
宜其家人

周代の中国最古の詩篇「詩経」より、嫁入りする娘を祝福する歌。
嫁ぐ娘を、桃の木の、紅い花、ふっくらとした実、茂った葉に例えます。

「敕勒歌」斛律金



敕勒川
陰山下
天似穹廬
籠蓋四野
天蒼蒼
野茫茫
風吹草低見牛羊

北斉の武将・斛律金(488−567)が、トルコ系少数民族の歌を漢語に訳したもの……と、言われているそうです。

「帰去来兮辞」(一部)陶淵明



帰去来兮
田園将蕪胡不帰
既自以心爲形役
奚惆悵而独悲
悟已往之不諫
知来者之可追
実迷途其未遠
覚今是而昨非

東晋の陶淵明(陶潜)(とうえんめい(とうせん))(365−427)作。
「帰去来の辞(ききょらいのじ)」という、長い文章の冒頭部分です。
正確には詩ではなくて、辞賦の形をとっているそうです。
役人生活をやめて、故郷の田舎に戻ってきました〜という内容なのですが、開放感がよいですね。

「兵車行」(一部)杜甫



君不見青海頭
古来白骨無人收
新鬼煩冤旧鬼哭
天陰雨湿声啾啾

戦乱を歌う杜甫の「兵車行」(長い詩です)より、ラスト部分。
青海(ココノール湖)は、古来、唐と吐蕃(チベット)の戦闘があったところだそうです。
現在でも、問題が起きている場所ですが…一日も早く、チベット問題が平和的に解決することを切に願っています…。

「絶句」杜甫



江碧鳥逾白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年

杜甫(とほ)作。
故郷を離れて、四川省の成都での作。華やかな燃えるような春は、異郷での風景。

「春望」杜甫



国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪

杜甫(とほ)作。
「春望(しゅんぼう)」。戦乱で荒れた都にも、春がめぐってきた。

「飲中八仙歌」(一部)杜甫



李白一斗詩百篇
長安市上酒家眠 
天子呼来不上船
自称臣是酒中仙

杜甫が有名な酒飲み8人をユーモラスに歌った「飲中八仙歌(いんちゅうはっせんか)」より、詩仙・李白の部分を抜粋。
島根県の地酒「李白」には、こちらの詩が引用されたパッケージがあります。
しかし、皇帝(唐の玄宗皇帝です)での舟遊びのエピソードはすごいですね…。皇帝相手に…。李白の武勇伝ですね…。

「自遣」李白

 

対酒不覚暝
落花盈我衣
酔起歩溪月
鳥還人亦稀

「自ら遣る(みずからやる)」、自分で自分をなぐさめる、といったタイトルの詩。
落花我が衣に盈つ、のフレーズが素敵です。

「春夜洛城聞笛」李白



誰家玉笛暗飛声
散入春風満洛城
此夜曲中聞折柳
何人不起故園情

「春夜洛城に笛を聞く(しゅんや らくじょうに ふえをきく)」。「折楊柳」は、楽府題で、別れの曲の定番。
旅人たちはこの曲を聞くと、自分が故郷を離れる時にこの曲で送り出してくれた故郷の友人たちを思い浮かべるのでしょうか。

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